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新しくブログを開設致しました。これからは新しいブログの方をご覧頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 当ブログ(URLアドレスhttp://nuka-hide.blog.so-net.ne.jp/)からの引き継ぎで、新しいブログ(URLアドレス⇒http://nuka-hide3.blog.so-net.ne.jp/)を開設致しました。(当ブログでの画像ファイルの格納容量が制限一杯になってしまったようなので。)
 これからも引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第二章 平和はどのようになされるのかより)

(み言 はじめ)
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  第二節 心と体の平和

 1 皆さんが暮らしている所は、すべて争いの群れです。心と体が争っているので、夫婦を合わせれば、四人の争いの群れになります。十人の家族が暮らせば、二十人の争いの群れになり、三十六億の人類が暮らせば七十二億の争いの群れです。この中では、平和を夢見ることはできません。神様は知恵があり、このような道理と事情を御存じなので、平和の基点をどこにおいたのでしょうか。宗教を通して、個人を中心としてこのような運動をするのです。それを見れば、神様は偉大な方だというのです。平和の基点を世界においたのではなく、国においたのではなく、氏族においたのではなく、個人においたというのです。
 個人の心と体の平和を永遠の基点にして、そのようにできる男性と、そのようにできる女性を誕生させ、この地上に一組の男性と女性が完全に統一され、完全なプラスの男性と完全なマイナスの女性が神様の愛の力を中心として完全に一つになった家庭が現れたならば、誰がそれを引き離すでしょうか。そのようにできる力の母体であり、神様の愛を中心として連結された家庭の基盤が、まだこの地球星(ぼし)には顕現していないのです。

 2 宗教は、個人の生死の問題を決定するものです。私が死ぬか生きるかという問題、私の心と体の平和の基準、私の心と体の解放的自由権をもつことが問題です。それが解放された立場に立ち、自主的な自由権を探し出してこそ、社会解放、国家解放、世界解放があるのです。そこには理論的な矛盾がありません。ところが、心と体が互いに毎日のように闘うのに、自由を見いだすことができるかというのです。

 3 人類は、平和の世界を願っていますが、数千万年たっても平和になっていません。堕落人間ではできないのです。平和の主人とは誰でしょうか。家庭が平和になるには、平和の主人である父と母が平和の原因と平和の内容、生活方法を教えなければなりません。その前には、永遠の平和を見いだすことはできません。
 人類の先祖は平和を実現しましたか。アダムとエバは怨讐(おんしゅう)になりました。その怨讐(おんしゅう)の血統を受けた皆さんは、心と体の間に闘いが起こっています。心と体がなぜ闘うようになったのでしょうか。心と体が闘うようになったのは、平和の本源地を失ったか、破壊されたためです。心と体の平和の基準を見いだせない人々が、平和をどうして探し出すことができますか。闘う人は、家庭から追い出され、国家と世界から追い出されるようになります。今日、人類全体が、心と体が闘っているのに、天国に行くことができますか。いくら修養しても行けません。ですから、宗教の目的は、心と体を統一するところにあるのです。

  心と体の闘争
             ・
 14 私たちの体は、サタンの王宮です。それゆえに神様は、「自分に勝ちなさい。自分を征服しなさい」と教えられるのです。「私」から一つになる道を模索しない限り、世界の平和統一は絶対にあり得ません。今日、世界の人類は、外的な世界において、民主世界を中心として、あるいは共産世界を中心として、「一つにしよう、統一しよう、平和の世界をつくろう」と言っていますが、誤った考えです。私たちの心と体が闘ったままでは不可能です。外的に一つにしたとしても、内的には、自分の心と体が闘っていれば、不可能なのです。

 15 私たちは、良心も生きていて、体も生きていると自負していますが、善の中で生活できないサタンの捕虜となっているので、死んだ者です。ですから、私たちを取り囲んでいる鉄格子を壊して出てこなければなりません。また、わたくしたちの心の中や周囲には、二人の主人がいて、平和などあり得ず、苦痛が連続しているのですが、ここにおいて、人生の道を探し求めていくべき私たちがもつべき覚悟と決意とは何でしょうか。私たちを取り囲んでいる鉄格子とはほかならぬこの体なので、良心を動員してこの鉄格子を押しのけて出てこなければなりません。その時が終わりの日なのです。

 16 平和と平等は、全人類が願う共同の目標です。その世界は、何から出発するのでしょうか。相応し相合する道と真理から出発しなければなりません。ですから、新しい真理とは何でしょうか。天と地が相応することができ、上下、高低、前後、左右を問わず、立体的な世界にとどまるいかなる存在とも相応できる原動力と内容が備わった世界観と人生観と生活観をもった主義だけが、人類世界の終末に残る、絶対的な真理なのです。歴史は、相応から出発したのではなく、相克から出発したので、この歴史は、破綻と悲哀で幕を下ろさざるを得ません。相応の理念をもって人類を呼び求めている一つの絶対者がいないとすれば、人類の歴史は絶望と言わざるを得ません。
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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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昨日(9/10(土))は、富山県と長野県の県境にある日本二百名山の1つ、北アルプスの針ノ木岳(はりのきだけ、標高2,820.6メートル)に登ってきました。

 家から車で行きました。登山口のある扇沢(標高1,433メートル)まで家から5時間ほどかかります。登山口を8:20頃出発、針ノ木小屋のある針ノ木峠に12:34着、10分ほど休憩してさらにそこから頂上には13:45頃に着、15分ほど休憩して下山開始は14:00、針ノ木峠に14:41に戻って4分ほど休憩し、登山口には18:10に戻りました。頂上はまさに北アルプスの展望台と言えるような所でしたが、近場と遠くの槍ヶ岳を除いてほとんどは、積雲系の雲に隠れていました。針ノ木峠を挟(はさ)んで対峙(たいじ)する日本三百名山の1つ、蓮華岳(れんげだけ、標高2,798.6メートル)はすぐ近くに良く見えました。赤牛岳も見えました。また黒部湖や高瀬ダムで堰(せ)き止められているダム湖も緑色の湖面がきれいに見えました。立山、剱岳も見えましたが、頂上部分は雲に隠れていました。扇沢から立山・黒部アルペンルートが室堂まで続いています。扇沢の駐車場は有料(12時間まで1,000円)を除きどこの駐車場も満杯状態でした。扇沢は北アルプスの主要玄関口の1つです。上りの途中ですれ違った人は、4、50人くらいはいたのではと思われます。日本三大雪渓の1つ、針ノ木雪渓(長さは1,000メートル弱ぐらいかな。)を通りましたがほとんど巻き道を通りました。雪渓の上は十数メートルぐらいしか歩きませんでした。(アイゼン無しでも大丈夫です。)でも雪渓の厚さは2~3メートル近い所もありました。結構お花も多く咲いていたので、ヤマレコにあるように7月上旬あたりに来れば、もっとお花と残雪を楽しめると思います。今回日帰りで歩程が10時間近く(標高差は1,300メートルほど。)と難関コースになりましたが、針ノ木峠にある針ノ木小屋に泊まれば、かなり楽になると思います。蓮華岳も同じですね。もし日帰りで蓮華岳といっしょに登れば、歩程は12時間近くと超難関コースとなってしまいます。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第二章 平和はどのようになされるのかより)

(み言 はじめ)
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  第二節 心と体の平和

 1 皆さんが暮らしている所は、すべて争いの群れです。心と体が争っているので、夫婦を合わせれば、四人の争いの群れになります。十人の家族が暮らせば、二十人の争いの群れになり、三十六億の人類が暮らせば七十二億の争いの群れです。この中では、平和を夢見ることはできません。神様は知恵があり、このような道理と事情を御存じなので、平和の基点をどこにおいたのでしょうか。宗教を通して、個人を中心としてこのような運動をするのです。それを見れば、神様は偉大な方だというのです。平和の基点を世界においたのではなく、国においたのではなく、氏族においたのではなく、個人においたというのです。
 個人の心と体の平和を永遠の基点にして、そのようにできる男性と、そのようにできる女性を誕生させ、この地上に一組の男性と女性が完全に統一され、完全なプラスの男性と完全なマイナスの女性が神様の愛の力を中心として完全に一つになった家庭が現れたならば、誰がそれを引き離すでしょうか。そのようにできる力の母体であり、神様の愛を中心として連結された家庭の基盤が、まだこの地球星(ぼし)には顕現していないのです。

 2 宗教は、個人の生死の問題を決定するものです。私が死ぬか生きるかという問題、私の心と体の平和の基準、私の心と体の解放的自由権をもつことが問題です。それが解放された立場に立ち、自主的な自由権を探し出してこそ、社会解放、国家解放、世界解放があるのです。そこには理論的な矛盾がありません。ところが、心と体が互いに毎日のように闘うのに、自由を見いだすことができるかというのです。

 3 人類は、平和の世界を願っていますが、数千万年たっても平和になっていません。堕落人間ではできないのです。平和の主人とは誰でしょうか。家庭が平和になるには、平和の主人である父と母が平和の原因と平和の内容、生活方法を教えなければなりません。その前には、永遠の平和を見いだすことはできません。
 人類の先祖は平和を実現しましたか。アダムとエバは怨讐(おんしゅう)になりました。その怨讐(おんしゅう)の血統を受けた皆さんは、心と体の間に闘いが起こっています。心と体がなぜ闘うようになったのでしょうか。心と体が闘うようになったのは、平和の本源地を失ったか、破壊されたためです。心と体の平和の基準を見いだせない人々が、平和をどうして探し出すことができますか。闘う人は、家庭から追い出され、国家と世界から追い出されるようになります。今日、人類全体が、心と体が闘っているのに、天国に行くことができますか。いくら修養しても行けません。ですから、宗教の目的は、心と体を統一するところにあるのです。

  心と体の闘争
 4 神様の愛の理想の園と反対となるこの世界は、実体的に分立と紛争が絶えない世界です。愛を中心とした平和の理念が具現された真理の世界ではなく、サタンが寓居して天倫を破壊する世界であり、妬みと嫉妬によって闘争と分裂が絶え間なく起こっている世界です。天性、すなわち本然の理想の園を訪ねようとする皆さんの心の中に、猜疑(さいぎ)と嫉妬心がありますか。また、紛争と分裂の心がありますか。これが残っているならば、皆さんは決して本然の理想の園を探せないでしょう。

 5 堕落は、自分を自覚したところから始まりました。堕落は人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃して神様の根本問題を知らなければなりません。神様を中心とした愛のために生きる、すべてのもののために生きる根源を探し出さなければなりません。そのようにしなければ、平和の根源を発見することはできません。平和の根源を発見できなければ、平和の世界は探し出せないのです。

 6 神様の血統を受け、永遠に神様の愛を受けるべき体が、神様の怨讐であり、本然の人間の前に怨讐である悪魔サタンの血を受けて、地獄に引かれていく恨めしい立場にあるという事実を、今まで知りませんでした。言い換えれば、神様を中心として、平和な天国で理想的に楽しく暮らせる家庭に、サタンが襲いかかり、不幸と地獄の世界をつくったというのです。

 7 心と体の闘いは、核戦争よりもっと恐ろしい戦争です。その戦争には休戦もありますが、ここには休戦もなく終戦もありません。私たちの人生がこの地上に存続し始めたその日から終わる時まで、私たちの心の底では休戦もなく、戦争が続けられているのです。このような人々が家庭を形成し、氏族を形成したので、一層闘うようになり、このような民族と民族が合わさったので、もっと闘うようになり、国家と国家が闘うようになりました。今までの人類歴史は、戦争につながった歴史でした。一日として戦争のやむ日はありませんでした。その闘いの根拠地は、心と体です。心と体が闘いの根拠地となって、個人、家庭、氏族、民族、国家がそのようになったのです。

 8 いくら恰幅(かっぷく)の良い人だといっても、その人を分析してみれば、金某(キムなにがし)ならば金某として、内外で闘争をしているというのです。絶えず、内なる人と外なる人が対決をしているというのです。これは否定することができません。皆さんの中では、いつも善の心と悪の体が闘っています。この闘いが問題です。
 この闘いの出処はどこでしょうか。起源はどこでしょうか。この闘いは、堕落人間が生まれたその日から発生したのです。今後もこの闘いは、数万年後まで続く可能性が多分にあるのです。

 9 今、皆さんは闘っています。自分の一生を中心として大砲を撃っているのです。世の中と向き合う前に、皆さん自身の心と体が闘っているのです。これをいかにして平和にするのでしょうか。この闘いで体が勝つのでしょうか。心が勝つのでしょうか。「私は間違いなく心が勝ちます」と言える人にならなければなりません。心が勝つ人は善の側であり、体が勝つ人は悪の側なのです。

 10 今まで人間は、自分自身の心と体を中心として闘争の過程を経てきました。一日として、平和を成し遂げ、統一を成して、天倫に従うはっきりした目的に向かって走っていったことのない人間だというのです。心と体が闘いながら今までの歴史を支えてきたので、結果的に、このような二つの世界に分かれざるを得なかったというのです。

 11 本来、人は生まれながらにして心と体が闘う存在であるとすれば、人間における理想や平和や思想などというものは、すべて空論です。それは、すべて無駄なことです。本来、人間がそのように生まれついたのでなければ、それは可能ですが、もともとそのような人として生まれているとすれば、無駄だというのです。これは、理論的に合わないことです。
 人はあくまでも原因的存在ではなく、結果的存在です。何ものかによって生まれたので、その結果的存在は、原因と一つにならなければなりません。原因と結果が異なることはあり得ません。結果は、原因を内容として現れるものなので、原因と結果は通じるのです。ですから、過程も一致しなければなりません。それが科学的なのです。

 12 神様の根拠地である本心は、天国の見張り台であり、サタンの本拠地である体は、地獄の見張り台になっています。この本心と体が国境線になっています。その境界線で銃声が聞こえてくるのです。それが皆さんの本心の声であり、本心と体が闘う声なのです。この戦争を除去するまでは、神様の息子になることはできず、天の国にも行くことはできません。また、そのような基盤をもたなければ、天国や理想世界というものが訪れることはあり得ないのです。

 13 私たちの心と体は、神とサタンの善悪の対決の場となって、熾烈(しれつ)な争いを繰り広げています。先生も、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」という標語を立てて身もだえした人です。この習慣性を、どのようにするのでしょうか。韓国人は、コチュジャンとみそを食べなければなりません。これを克服できるのでしょうか。昼は仕事をしなければならず、夜は寝なければなりません。寝ないでいることができるでしょうか。これが問題です。眠りを克服しなければならず、空腹を克服しなければならず、男性が女性に対して、女性が男性に対して克服しなければなりません。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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秋雨の季節らしいお天気になっています。今、天気図上では夏と秋の境目の秋雨前線が本州上にあり、秋雨前線の少しの上下移動で夏らしくなったり秋らしくなったりもします。

 今日からの韓国の清平での大役事に合わせるかのように、こちら(登山に行ける地域)のお天気はぐずつき模様で、これであれば清平に行っても良かったのかも知れないなあと思ったりもしています。(7~8日はインターネット中継(URLアドレス⇒http://japan.ipeacetv.com/board/notice/notice_view.asp?code=B03&ib_idx=10268参照。)による視聴(自宅にて可能でした。)予定のため、いずれにしても山には行きませんが。)
 台風一過ということで、一昨日、昨日は、それぞれ富山県にある日本二百名山の1つ、奥大日岳(おくだいにちだけ、標高2,605.9メートル、最高地点は標高2,611メートル)と富山県と石川県の県境にある日本三百名山の1つ、医王山(いおうぜん、最高地点は奥医王山の標高939メートル)に登ってきました。両日とも高曇りでしたが、山頂部からの眺望は良かったです。
 奥大日岳からは、富山市街や富山湾、また北アルプスの山々(眼前に剱岳、立山、遠くに槍ヶ岳、笠ヶ岳やこれから登る予定の日本二百名山の1つ、赤牛岳(あかうしだけ、標高2,864メートル、二百名山の中で登山口から最遠の山。)など。)、弥陀ガ原などが良く見えました。
 医王山は山頂に近い夕霧峠まで車で行けます。峠から奥医王山までは、歩いて上り30分、下り20分ほどの距離です。奥医王山の山頂からの眺望はあまり良くなく、夕霧峠付近から富山県側の砺波(となみ)平野や反対側(石川県側)の金沢市街が良く見えます。遠く北アルプス方面は靄(もや)っていてあまり良く見えませんでした。(冬晴れの日は良く見えるそうです。)名前からして山中を歩いているだけで健康になりそうな気分でした。(薬草が多いらしいです。もちろん薬草は採取、損傷は規制されています。)マムシの子供も見ました。長さ15センチメートル、直径1センチメートルぐらいで可愛らしかったです。緑と赤と青のまだら模様できれいでした。首の部分がくびれて、頭が三角形なのですぐマムシとわかりました。マムシも薬になるのですね。(私も小さい頃、マムシの粉を飲んでいたことがあります。)
 医王山は富山県側から上り、金沢市街方面へ下りましたが、富山市への帰り道の途中、小矢部(おやべ)市内を通りました。ここは木曽(源)義仲が平家の10万の軍勢を破った火牛の計の策を用いた所だそうです。木曽義仲が源氏方とは知らなかったです。これから中央アルプス(木曽山脈)にある日本二百名山の1つ、南駒ケ岳(みなみこまがたけ、標高2,841メートル)にも登る予定ですが、登山コースの1つの途中に木曽義仲の力水と呼ばれる水場もあり、標高2,800メートル近くの峠越えをしたすごい人だなあと思っていた人でした。この山は、標高差1,800メートル弱、少なくとも山中の山小屋に1泊を要する(超)難関コースだと思っています。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第二章 平和はどのようになされるのかより)

(み言 はじめ)
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  第二節 心と体の平和

 1 皆さんが暮らしている所は、すべて争いの群れです。心と体が争っているので、夫婦を合わせれば、四人の争いの群れになります。十人の家族が暮らせば、二十人の争いの群れになり、三十六億の人類が暮らせば七十二億の争いの群れです。この中では、平和を夢見ることはできません。神様は知恵があり、このような道理と事情を御存じなので、平和の基点をどこにおいたのでしょうか。宗教を通して、個人を中心としてこのような運動をするのです。それを見れば、神様は偉大な方だというのです。平和の基点を世界においたのではなく、国においたのではなく、氏族においたのではなく、個人においたというのです。
 個人の心と体の平和を永遠の基点にして、そのようにできる男性と、そのようにできる女性を誕生させ、この地上に一組の男性と女性が完全に統一され、完全なプラスの男性と完全なマイナスの女性が神様の愛の力を中心として完全に一つになった家庭が現れたならば、誰がそれを引き離すでしょうか。そのようにできる力の母体であり、神様の愛を中心として連結された家庭の基盤が、まだこの地球星(ぼし)には顕現していないのです。

 2 宗教は、個人の生死の問題を決定するものです。私が死ぬか生きるかという問題、私の心と体の平和の基準、私の心と体の解放的自由権をもつことが問題です。それが解放された立場に立ち、自主的な自由権を探し出してこそ、社会解放、国家解放、世界解放があるのです。そこには理論的な矛盾がありません。ところが、心と体が互いに毎日のように闘うのに、自由を見いだすことができるかというのです。

 3 人類は、平和の世界を願っていますが、数千万年たっても平和になっていません。堕落人間ではできないのです。平和の主人とは誰でしょうか。家庭が平和になるには、平和の主人である父と母が平和の原因と平和の内容、生活方法を教えなければなりません。その前には、永遠の平和を見いだすことはできません。
 人類の先祖は平和を実現しましたか。アダムとエバは怨讐(おんしゅう)になりました。その怨讐(おんしゅう)の血統を受けた皆さんは、心と体の間に闘いが起こっています。心と体がなぜ闘うようになったのでしょうか。心と体が闘うようになったのは、平和の本源地を失ったか、破壊されたためです。心と体の平和の基準を見いだせない人々が、平和をどうして探し出すことができますか。闘う人は、家庭から追い出され、国家と世界から追い出されるようになります。今日、人類全体が、心と体が闘っているのに、天国に行くことができますか。いくら修養しても行けません。ですから、宗教の目的は、心と体を統一するところにあるのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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台風15号はカムエクのある日高山地には多くの雨を降らせることはなさそうです。

 1週間ぐらい雨の降らない期間があれば、川の水量もかなり減ってくるものと思われます。風はこちらでもかなり吹いていましたが、清々(すがすが)しい秋の気配を感じることができ、街中でのみなさんの装いも清々しさを感じられるものが多かったようです。
 さて今週は、真のお父様の天宙聖和5周年記念日を迎えますが、記念祝賀行事と共に合同祝福結婚式も予定されているようです。私は山登りで忙しいこともあり、渋谷教会にてインターネットによる中継で行事に参加できればと思っています。
 実は一昨日に、これまた新幹線とレンタカーを使った日帰りの速攻登山となりましたが、富山県にある日本二百名山の1つ、金剛堂山(こんごうどうさん、前金剛(標高1638メートル)から最高地点の中金剛(標高1650メートル)まで。奥金剛(標高1616メートル)までは行きませんでした。)に登ってきました。登山道入り口は旧スキー場側の竜口登山道口で、通常ガイドブックに記載されている栃谷登山口までは道路修復工事のため、林道が閉鎖されていて行けない状況です。風はありましたが、汗が引くのにちょうどよい感じでした。山頂からは、遠方にある立山や白山などの高い山々は雲に隠れてよく見えませんでしたが、近隣の山々ははっきり見えました。頂上から富山市街や富山湾も見えました。おそらく山頂より200メートルぐらい高い所で、積雲系の雲が早く流れていました。時折、雲間から日も差していました。前回3月に登った時は、1346mピークを過ぎて、そしておそらく1451mピークを過ぎて少し下った所で、引き返したようです。あともう少し(40分くらい)で頂上(前金剛)到達でした。でもこの時は、1346mピークからの雪を被った近隣の山々の眺めは素晴らしかったです。超感動ものでした。日本とは思えない光景でした。明日以降、台風一過の良いお天気下での登山ができそうで楽しみでもあります。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第二章 平和はどのようになされるのかより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和世界実現の段階

 1 個人の平和、家庭の平和、氏族の平和、民族の平和、国家の平和、世界の平和、宇宙の平和を成し遂げて、解放したあとに自由天地は形成されます。そのような自由世界の基盤の上で幸福はあり得るのです。今まで誰も、そのような平和の世界を探し出せませんでした。だとすれば、誰かからそのような平和の基盤を見いだせるのでしょうか。今、神様とサタンが闘っています。理想の神様と悪のサタンが、どうして平和の基盤をつくれるでしょうか。その闘いを、誰が止められるでしょうか。皆さんの心と体も闘っています。それが問題です。神様とサタンが闘っているだけでなく、「私」にも闘いが続いていることが問題なのです。
             ・
  個人から出発する平和の八段階
             ・
 14 人間は、紛争に連結されている歴史の結実体です。それで、全体をひっくり返して新しい結果をつくることが難しいというのです。自分を中心として、そのような紛争の世界が延長されるので、平和を求める人としては悩まざるを得ません。個人を基準として悪を考え、善を考えるのです。個人を中心として善悪の闘いが起こります。さらには家庭を中心とした紛争、氏族を中心とした紛争、民族を中心とした紛争が起こるようになります。それがもう少し大きくなれば、民族を越えて、国家同士で闘うのです。そのようにぶつかることによって、世界の平和はさらに難しくなります。個人から見れば、個人の平和圏が世界まで連結されるので、家庭の紛争圏、氏族の紛争圏、民族の紛争圏を越えなければなりません。統一教会(現世界平和統一家庭連合)で言う、八段階の境界線の壁を越えなければならないのです。

 15 神様も独りでは絶対に愛の理想を成し遂げることはできません。神様は、腹中期、幼児期、少年期、青年期、夫婦、父母、祖父母、王という八段階の主人にならなければなりません。しかし、そのすべてのものを堕落のために失ってしまいました。神様がその八段階の愛のモデルを立てなければならなかったのですが、堕落のためにすべてのものを失ってしまったのです。それを私たちがつくってさしあげなければなりません。それで、私たちが神様の愛のモデルになって、息子、娘をもつようになっているのです。
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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
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先週は夏風邪を引いていたり、寝違えによる首痛にも悩まされていました。

 風邪と言っても喉が痛かったぐらいでしたが、ちょうど首に当たる部分なので、ちょっと大変に感じられました。登山をしていて本当に体力がついた実感もしています。暑さにも耐えれる感じです。自分の部屋にはクーラーはなく、自然の風と団扇(うちわ)だけが頼りです。湿気の多い天候不順にも耐えられる体になっているようでうれしく思います。
 カムエクにも早く登りたいですが、昨日は雨も降ったりして川の水が増水していると思われ登山は少し間を空けてからと思っています。現に、ご愁傷様ではありますが、カムエクに近い日高山系にある日本百名山の幌尻岳(ぽろしりだけ、標高2052.4メートル)の登山者が川に流されて遭難死されたというニュースが流れており、私と同年代の方々もおられ誠に残念であります。日の長さも短くなってきています。日本の南海上の小笠原近海には大型の台風15号があって日本付近に向けて北上中です。秋雨前線も顕著になってきています。登山しにくい状況が続いています。
 今夏はずっと日本付近に前線が存在していたような気がします。でも水不足の問題はなさそうです。今秋はどのような天候になるのかが気になります。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第二章 平和はどのようになされるのかより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和世界実現の段階

 1 個人の平和、家庭の平和、氏族の平和、民族の平和、国家の平和、世界の平和、宇宙の平和を成し遂げて、解放したあとに自由天地は形成されます。そのような自由世界の基盤の上で幸福はあり得るのです。今まで誰も、そのような平和の世界を探し出せませんでした。だとすれば、誰かからそのような平和の基盤を見いだせるのでしょうか。今、神様とサタンが闘っています。理想の神様と悪のサタンが、どうして平和の基盤をつくれるでしょうか。その闘いを、誰が止められるでしょうか。皆さんの心と体も闘っています。それが問題です。神様とサタンが闘っているだけでなく、「私」にも闘いが続いていることが問題なのです。

  個人、家庭、社会、国家、世界、天宙の平和
             ・
 11 統一の内容は簡単です。自分の心と体が一つになればできるのです。そのように一つになったものが家庭と一つになれば、平和な家庭になるのです。そのように一つになった家庭が社会と一つになるとき、その家庭は社会において、誰にも恥ずかしくない幸福な家庭になるでしょう。そのように一つになった社会が国と一つになるとき、それは国において、誰も否定できず、尊敬せざるを得ない統一圏が展開するでしょう。さらには、世界人類と間違いなく一つになったというとき、そのような人たちを通して地上に天国が成し遂げられるのです。

  個人から出発する平和の八段階
 12 今後、全体的な摂理を担当する宗教があるとすれば、その宗教は、霊界までも解怨成就し、蕩減(とうげん)してあげなければなりません。この地上にいる人類、世界の問題だけではありません。霊界の問題までも解決してあげてこそ、世界に平和の時代が来ます。霊界の問題を解決し、その次には神様までもお迎えして玉座に座らせてさしあげてこそ、永遠無窮な地上・天上世界になります。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで八段階なのです。

 13 天を第一とする中心的な存在が歩む道において、その個人は、何のための歩みをするのでしょうか。個人のための歩みではないでしょう。その個人は、家庭を経ていかなければならず、世界に向かう道を行かなければなりません。その個人が、世界だけでなく、天地を統一し、神様と永遠の愛で一つになる勝利のひと時を迎えるようになる時、初めて人間の願う世界、平和の世界が展開するのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
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こちらでは久しぶりに、雲は多めですが夏らしい陽気となっております。

 今夏の今頃のお見舞い状は、残暑(冷夏)お見舞い申し上げます、となりそうな感じですね。大気の状態も不安定な日が多く、山に行きづらい夏になりました。8月なのにまだ1名山しか登頂していません。北海道にこだわってしまったせいもあるかもしれません。実は先週も8/17(木)、18(金)にまたカムイエクウチカウシ山(通称カムエク)に登ろうとしましたが、お天気が霧雨だったので、おそらく頂上もガスっていて眺望もよくないだろうと思い、札内川ヒュッテ前を午前3時出発から午前5時出発に変更し、七ノ沢出合から八ノ沢出合を過ぎて、1000m三股に行く途中まで行って引き返してきました。七ノ沢出合からは沢登りがメインとなります。ルートファインディング(ル-ファイ)しながら登っていくので、予想以上に時間がかかりました。おまけに河原は、不規則な大きな石(動きやすい)が多く、大変に歩きづらいです。岸辺に上がった所には所々巻き道がありますが、笹藪や倒木などにふさがれていたりしてわかりづらく歩きづらい所もあります。大体入口にはピンクテープなどの目印があります。八ノ沢出合を過ぎてしばらくして、川上から青い服を着た5人の人たちが下りてきましたが、道警の山岳遭難救助隊(※3)の方々のようでした。名前と住んでいる所の県名と登山の時間をどのくらいで想定しているかなど(※1)を聞かれました。向かって右側(左岸側)に歩きやすい巻き道がありますよと教えて頂きました。有り難いです。(※2)ピンクテープ(略してピンテとも言われるようです。)は新しかったのですが、道警の方々が張られているようです。
 今回は札内川ヒュッテ前を午前5時に出発し、自転車を返却できる時間、午後4時20分頃に戻りました。(平時忠さんの協助があったのかなあ。)今回も下調べとなりました。上りで当初予定より1時間ぐらい余計にかかっている感じでしたので、見積合計時間は、当初予想の13時間30分から15時間ぐらいになりそうかなという感じです。それでも次回は今回よりは早く歩けるかなと思っています。また靴も沢靴だけで頂上まで行けそうな手ごたえを得ましたので、次回はそうしようと思っています。登山靴だけで重さは1.2キログラム近くあり、これが軽減できるだけでも大変助かります。次回はいつになるかはわかりません。ペテガリ岳は利用する林道が昨日8/21より通行止めになっているそうで、来夏以降になりそうです。残りの二百名山は難関な山が目白押しですが、テント泊はしなくてもすみそうな感じがしてきました。
 山で見かけるお花ですが、名前を1つ1つ覚えるのは大変ですね。百種類以上は軽くありそうです。似たようなお花も多いです。とりあえず、印象に残った花から名前を覚えていければと思います。お花も調べていけば、土の性質や気候なども調べてみて比較してみて、同じ土の性質や気候だったら同じような(色の)花が咲くのかなというような想像もできて面白そうです。今はひたすら山に登ることだけを考えているので、そこまで考える余裕はありません。百名山のときは特にそうでした。(あまりお花にも出会わなかったですが。)早く、お花を愛でたり、登山後はゆっくり温泉につかったりできればと思います。三百名山は選定基準が標高900メートルぐらいの山まで下がっているので、比較的低山も多くなり、冬でも多く登れそうですし、ゆとりも出てきそうです。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第二章 平和はどのようになされるのかより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和世界実現の段階

 1 個人の平和、家庭の平和、氏族の平和、民族の平和、国家の平和、世界の平和、宇宙の平和を成し遂げて、解放したあとに自由天地は形成されます。そのような自由世界の基盤の上で幸福はあり得るのです。今まで誰も、そのような平和の世界を探し出せませんでした。だとすれば、誰かからそのような平和の基盤を見いだせるのでしょうか。今、神様とサタンが闘っています。理想の神様と悪のサタンが、どうして平和の基盤をつくれるでしょうか。その闘いを、誰が止められるでしょうか。皆さんの心と体も闘っています。それが問題です。神様とサタンが闘っているだけでなく、「私」にも闘いが続いていることが問題なのです。

  個人、家庭、社会、国家、世界、天宙の平和
             ・
 8 第二次世界大戦や、今のロシアとアメリカが問題ではありません。自分の中で永遠に続くこの戦争を、いかに平和へとひっくり返してしまうかが問題です。これは、この上なく重要だということを知らなければなりません。これができなければ、世の中が平和世界になっても、地獄になります。先生がこの道を出発する時、第一の標語が、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」というものでした。自分自身を主管できない人は、世界を主管することはできないのです。

 9 堕落した運命圏の子孫として生まれた私たちには、個人を犠牲にしなければ家庭を連結させる道はありません。個人を投入しなければ、家庭に平和の基地をつくる道はありません。家庭のために犠牲になろうという精神基盤がなければ、その家庭が民族と世界に前進できる基地になることはできません。安息の基盤になれないのです。ですから、家庭全体が民族を経ていく基地にならなければなりません。民族を経ていこうとするので、一族を導いていかなければなりません。

 10 イエス様は「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七・二一)と言いました。天国は自分の心にあります。心自体を中心として見るとき、天国は統一された世界なので、心と体が統一された基盤になっていなければ、臨在することはできないのです。
 ですから、統一教会(現世界平和統一家庭連合)は、世界統一を主張するのではありません。世界統一の前に国家統一がなければならず、国家統一の前に民族統一がなければならず、民族統一の前に氏族統一がなければならず、氏族統一の前に家庭統一がなければならず、家庭統一の前に個人統一がなければならないのです。最も根本になる心を中心として、個人統一をしなさいというのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)



※1:‘など’を追加挿入致しました。(8/23 午後11時41分ごろ)
※2:‘有り難いです。’を追加挿入致しました。(8/23 午後11時41分ごろ)
※3:‘山岳警備隊’から‘山岳遭難救助隊’へ修正致しました。(8/29 午後10時23分ごろ)

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石川県の能登半島にも平家ゆかりの地がありました。

 当初の予定では、登れなかった富山県の山々に登ろうと思っていましたが、日本海にある低気圧の影響で雷雨が起きやすい状況だったので、(※10)急遽、能登半島巡りにした次第です。(山の日の8/11(金)と12(土)の両日。)能登にも平家の落人伝説があったのですね。能登巡りの要点は以下の通りです。
 11日は、富山市(前日車を借りて一泊。10:00頃出発(※1))から国道8号線→160号線を通って七尾から和倉温泉に入り、総湯でお風呂に入りました。和倉温泉近くでは、並行して走っているJR七尾線を特急電車が追い抜いていきました。(※2)それから能登島大橋を渡って能登島に行き(※8)、再びツインブリッジのとを渡って半島本体に戻り、(※9)道の駅「なかじまロマン峠」の食堂で中島菜入りのうどんを食べました。美味しかったです。そしてそこから「のと里山海道」を終点まで行き、国道249号線を通って、珠洲(すず)市内にある道の駅「すずなり」(隣接して24H営業のファミリーマートあり。ここは金沢からの特急バスも来ているようです。)に行き、そこで車中泊しました。ちょうど盆踊り大会のようなものが催されていて21時頃まで賑やかでした。
 12日は早朝6時に出発、須須神社の前を通り、能登半島の最北端にある禄剛崎(ろっこうさき)灯台を見て、それから平時忠とその一族のお墓(URLアドレスhttp://notonokaori.com/1bunnka/tokitada.html参照。)(※4)に行き、さらに時国家(時国(ときくに)は平家の末裔。)の立派な木造家屋(下と上があります。)を見、さらに奥能登の最高峰、高州山(こうしゅうざん、或いは、こうのすやま、(※5)(※11)標高567メートル)に行ってきました。高州山は頂上近く(高州神社前)まで車で行けます。山頂部は防衛省(※3)のレーダー施設などがありますが、隣接する高州神社の鳥居をくぐって階段を歩いて上りつめれば、山頂部に着きます。その後は輪島市街に入り道の駅「輪島」で遅い昼食(豚肉の肉うどんが美味しかったです。)を食べた後は、海沿いの道路を走り、再び国道249号線、のと里山海道、能越自動車道などを通り、最終的に国道160号線→8号線を通ってレンタカー屋さんに戻りました。羽咋(はくい)方面までは時間がなくて行けませんでした。
 昨日の能郷白山ですが、家を午前9時過ぎに出発し、JRの新幹線と東海道本線で岐阜駅まで行き、岐阜駅前のレンタカー屋さんで車を借り、国道157号線をひたすら走って登山口のある温見(ぬくみ)峠まで行きました。よく酷道157号線と言われるようですが、確かに山中に入るとほとんど一車線の狭い道路になり、ガードレールのない崖っぷちのカーブを行くような所もあり、すれ違いも大変な道路でした。岐阜市内から2時間ほどで温見峠に着きます。峠から頂上まで標高差600メートルほどあり、かなりの急登を強いられます。特に下りは雨などで濡れていると、滑りやすく要注意です。峠を14:25頃出発、頂上に16:10頃到着、16:25頃に下山を開始して峠に17:40頃に着きました。途中からガスがかかり、頂上では視界ゼロの状態でした。それでも一時、太陽の位置も確認できるくらいに頭上部分のガスが薄くなりました。山頂近くの稜線に出てからの明るい感じのガスの中の登山道を行くのもいいものです。ガスは噴霧器のキリのような状態で、頭髪がビショビショになりました。登山道に黄色(1つはマルバダケブギ、もう1つはニガナ。これらは数は少なかったですが、あと1つ、たくさん咲いている花がありました。(※12))(※6)やピンク(下野草(シモツケソウ)がふわふわ可愛らしいです。あと紫ですがアザミも多かったです。)(※7)の花がたくさん咲いていて癒されました。帰りもJRの新幹線と東海道本線を使い、午後11半過ぎに帰宅しました。速攻登山となりました。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第二章 平和はどのようになされるのかより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和世界実現の段階

 1 個人の平和、家庭の平和、氏族の平和、民族の平和、国家の平和、世界の平和、宇宙の平和を成し遂げて、解放したあとに自由天地は形成されます。そのような自由世界の基盤の上で幸福はあり得るのです。今まで誰も、そのような平和の世界を探し出せませんでした。だとすれば、誰かからそのような平和の基盤を見いだせるのでしょうか。今、神様とサタンが闘っています。理想の神様と悪のサタンが、どうして平和の基盤をつくれるでしょうか。その闘いを、誰が止められるでしょうか。皆さんの心と体も闘っています。それが問題です。神様とサタンが闘っているだけでなく、「私」にも闘いが続いていることが問題なのです。

  個人、家庭、社会、国家、世界、天宙の平和
             ・
 4 個人から家庭、氏族、民族、国家、世界に行くときに、引っ掛かるものがあってはいけません。個人から家庭が勝利点を受け継ぎ、家庭から民族が勝利点を受け継がなければなりません。そのようなパターンで家庭の勝利点を氏族が受け継ぎ、氏族の勝利点を民族が、民族の勝利点を国家が、国家の勝利点を世界が受け継いで、越えていかなければなりません。そのようなパターンが出発と同時に、変わりなく個人から世界まで受け継ぐことができる、一貫した関係を整えた基盤が地上に展開しなければ、神様が願われる摂理的最後の勝利点は、この地上に顕現することができません。そのようなものがなければ、この地上に平和の世界は、やって来ることができないのです。

 5 今日、この世界は平和を願っています。万民は、一つの統一された理想世界を夢見ています。その理想世界というものは、私たち一人一人を通さなければ成し遂げることができないのです。私たち一人一人がそのような理想の基盤を確保し、その環境を広める過程を経なければ、その世界にまで到達できません。一つの社会について見てみれば、社会でも互いに競争しています。互いに紛争しているのです。家庭を見ても、相反した立場にあります。私たち個人においても心と体が闘争しているのを見る時、平和の道、統一の道は、他の所から求めるものではありません。私たち個人から模索する道以外にはないのです。

 6 世界のすべての人たちが「正しい」と言える基準、公認されたその基準は、「誰も変更することができない」と言える基準でなければなりません。その基準を中心として世界の平和が芽生えるのです。ここから善の個人と善の家庭、善の氏族、善の民族、善の国家、善の世界が出発できるのです。しかし、国家がいくら善だとしても、世界的な基準と方向を合わせられなくなるときは、その国家は崩れていきます。ですから、私たちに問題になることは、主義と思想です。宇宙観と世界観、そして人生観と生活観、新しい世界の人格観などが問題になるのです。

 7 私が頼っている世界、私が頼っている国、私が頼っている社会、私が頼っている家庭、私が頼っている父母、私が頼っている妻子、このように考えてみたときに、私自体には頼れる何ものもない、ということを発見するようになります。自分自身も頼ることができないほど心と体が分立しています。
 ここで問題になるのは何でしょうか。私が生きている世界が問題になるのではありません。世界は遠い所にあります。国も問題にならず、社会も問題にならず、家庭も問題になりません。夫あるいは妻も問題になりません。結局は、私自身がいかなる統一的な基盤を築くのか、ということが何よりも重要な問題です。このように見るとき、平和と統一の世界を願うとすれば、自分から統一して、自分から一つになる位置を探さなければなりません。そのようにしないで、統一的な世界と関係を結ぼうというのは理論的な矛盾なのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)



※1:‘7時頃出発’から‘10時頃出発’へ修正致しました。(8/16 午前10時02分ごろ)
※2:‘和倉温泉近くでは、・・・。’を追加挿入致しました。(8/16 午前10時02分ごろ)
※3:‘自衛隊’から‘防衛省’へ修正致しました。(8/16 午前10時02分ごろ)
※4:‘平時忠~のお墓’から‘平時忠とその一族のお墓~’へ修正致しました。(8/16 午前10時35分ごろ)
※5:‘或いは、たかのすやま、’を追加挿入致しました。(8/16 午前10時35分ごろ)
※6:‘(1つはマルバダケブギ・・・。)’を追加挿入致しました。(8/16 午前11時35分ごろ)
※7:‘(下野草・・・。)’を追加挿入致しました。(8/16 午前11時35分ごろ)
※8:‘を渡り’から‘を渡って能登島に行き’へ修正致しました。(8/16 午後0時45分ごろ)
※9:‘再びツインブリッジのとを渡って半島本体に戻り、’を追加挿入致しました。(8/16 午後0時45分ごろ)
※10:‘富山市で車を借りた後、’を削除致しました。(8/16 午後6時11分ごろ)
※11:‘たかのすやま、’から‘こうのすやま、’へ修正致しました。(8/22 午前10時29分ごろ)
※12:‘もう1つはニガナかな。~’から‘もう1つはニガナ。~’へ修正致しました。(8/22 午前10時29分ごろ)

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お久しぶりのブログ更新となりました。今夏は天候不順のようで、なかなかすっきりした青空が長続きしないようです。

 天気図を見ると梅雨時に現れるオホーツク海高気圧が居座り、夏空をもたらす太平洋高気圧の姿が見えません。また今夏は7月下旬から8月上旬にかけて史上3位の長寿台風5号の影響も受けました。
 そんな中で、8/4(金)~6(日)にかけて北海道のカムイエクウチカウシ山(通称カムエク)に登ろうと行ってきましたが、体調が今一つだったため登山はしませんでした。今回は下調べの意味合いが強いものとなりました。
 1日目は、とかち帯広空港に朝一番の飛行機で着き、車を借り、さらにJR帯広駅の駅ビル内のエスタ2Fで自転車(マウンテンバイク)を借り(受付時間は9:30~17:30)、借りた自転車を車(今回借りた車はシエンタという車です。)に乗せて、カムエクの登山口(札内川ヒュッテのある所)まで行き(一般国道236号線→道道55号線→道道111号線。1時間ほど。)、そこから七ノ沢出合の手前1キロメートルほどの道路が崩壊している所まで自転車で行きました。距離にして6.5キロメートルぐらいでしょうか。標高差は90メートルほど。途中きつい所は自転車を降りて手押しで行きました。かかった時間は1時間ほどです。崩壊した箇所は、無理すれば手で自転車を引いたり押したり持ったりして、通過できる所です。もしそうすれば、あと10分くらいで七ノ沢に着けると思います。実際は道路崩壊箇所で自転車を置き(デポして)、そこから七ノ沢出合まで歩いて15分ほどかかりました。帰りは道路崩壊箇所から札内川ヒュッテまで40分ほどかかりました。下りなので7割方は自転車をこがなくても爽快に走って行けました。(路面状況にはもちろん気をつけて。ブレーキをかけながらスピードはセーブしながら。)ですので往復2時間10分ぐらいかかることがわかりました。七ノ沢出合からカムエク山頂までは、私の足ではおそらく往復11時間30分ほどかかると思われ、札内川ヒュッテからカムエク山頂までの往復合計時間は13時間30分ほどと見積もれます。これならば日帰り可能であることがわかりました。自転車を返す時間17:30を考えれば、早朝3時に札内川ヒュッテを出発すれば、帰りの飛行機までもその日に間に合わすことができそうです。
 こうして下調べを終えて、いったん里に降りてコンビニで食事をして(道の駅の食堂などはどこも18時頃には閉店。)、再び札内川ヒュッテに戻り、近くの駐車場で車内泊をしました。ここでわかったことは、車内で後ろに自転車を入れたままだと、運転席の背もたれが後ろにあまり倒せないために良く眠れないことでした。自転車は車外に出す必要があります。
 2日目の早朝3時頃に目が覚めましたが、雨がしとしと降っていて(登山途中の札内川の沢登りで、雨による増水で登れなくなるほどではなかったと思いますが。)、体の調子もあまり良くない状態でしたので、登山は中止にしました。この日は、道の駅「なかさつない」で食事をしたり、観光名所の「幸福駅」などに行ったりしました。道の駅も「幸福駅」も空港もすべて、国道236号線を中心に行ける所にあります。夕方に自転車と自動車を返却して(結局1日早く。車は帯広駅前の同じレンタカー屋さんに乗り捨ての形で。)、その後、市内のホテルに宿泊しました。(車は返却しなくても翌朝の開店時に返せば、料金は同じであることがわかりました。)ところで、この札内川も平成3年から17年までの計8回、一級河川の平均水質ランキングにおいて清流日本一だったようです。「幸福駅」に行ったとき、近くの観光客から北竜町(暑寒別岳の近く)でひまわりがすごいことになっているというお話が聞こえました。テレビでも茨城県で100万本のひまわりが咲いているということで、今年はひまわりの当たり年なのでしょうか。最近のお母さまのみ言にも、ひまわりのお話があります。
 そして3日目は、当初の予定通りにJRで新千歳空港まで行き、そこから飛行機で羽田まで帰りました。
 今夏の北海道は、私が芦別岳や夕張岳に登った7月上旬頃には35℃を超える猛暑日にもなったそうですが、8月に入ってからはオホーツク海高気圧の影響を受けて、気温も低めで、お天気も今一つのようです。もしかしたら、山上からは雲海が期待できるかも知れませんが。
 そして先週は石川県の能登半島に行ってきました。さらに昨日は、福井県と岐阜県の県境にあります、日本二百名山の1つ、能郷白山(のうごうはくさん、標高1,617.4メートル)に登ってきました。これらについては、また別の記事で書きたいと思います。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第二章 平和はどのようになされるのかより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和世界実現の段階

 1 個人の平和、家庭の平和、氏族の平和、民族の平和、国家の平和、世界の平和、宇宙の平和を成し遂げて、解放したあとに自由天地は形成されます。そのような自由世界の基盤の上で幸福はあり得るのです。今まで誰も、そのような平和の世界を探し出せませんでした。だとすれば、誰かからそのような平和の基盤を見いだせるのでしょうか。今、神様とサタンが闘っています。理想の神様と悪のサタンが、どうして平和の基盤をつくれるでしょうか。その闘いを、誰が止められるでしょうか。皆さんの心と体も闘っています。それが問題です。神様とサタンが闘っているだけでなく、「私」にも闘いが続いていることが問題なのです。

  個人、家庭、社会、国家、世界、天宙の平和
 2 「私」が行く道、すなわち私たちが行く道は、歴代に代わる道であり、私たちが見つめて進んでいく方向は、歴史の流れと一致した方向であり、同時にそれを収拾していく道です。私たちは、この目的に向かって、私たちの全生涯路程をかけて歩んでいます。私から出発して、その目的点まで行く道は、個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界、さらには神様と全体が動員されて行くべき道です。このような方向に向かっていく途上には、平坦(へいたん)な所はほとんどありません。それは、人間が堕落したからです。個人がこの方向に合わせて目的点まで進む所には、闘争があります。個人的な闘争、家庭的な闘争、国家的な闘争、世界的な闘争、天宙的な闘争が横たわっているというのです。

 3 「私」が平和の世界を訪ねていかなければならないといっても、平和の世界はできていません。外部にはないのです。いくらアメリカに行ってみても、ロシアに行ってみても、世界のどこに行ってみてもありません。平和の世界は、私から始めなければなりません。世界と取り替えることのできない平和の心にならなければなりません。
 人間の欲望は、天地のあらゆるものを自分のものにしたいのです。あらゆる中心的価値の位置に立ちたいのです。そのようにしようとすれば、原則的基準で統一的公式路程を経ていってこそ、その公式路程に計算されたすべての道が合致して、最後まで統一の目的地に到達できるのであって、公式と違っていては、いくら欲望をもっていても駄目だというのです。今日、宇宙全体が公式法度の上で動いています。今日、科学技術も公式の発展基台の上で成り立つのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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これまで登山対象としていた山が明確ではありませんでした。

 最近、「日本三百名山 登山ガイド(上中下)」(日本山岳会編)を購入して読んでいたら、日本二百名山(深田久弥ファンの全国組織である深田クラブが選定した山)にあって、日本三百名山にない山が一座あることがわかりました。先日、帝釈山と共に登ろうとした新潟県の奥只見にある荒沢岳です。それで正確には301名山に登ろうとしていた私でしたが、これからは日本山岳会が選定した日本三百名山を登ろうと思います。従いまして、荒沢岳は登山の対象から外れることになりました。日本山岳会が選定した日本三百名山には、深田久弥さんが選定された日本百名山は全て含まれています。それで、日本山岳会が選定した日本三百名山の中で、日本百名山に含まれている山々は今まで通りに(日本)百名山の〇〇、日本二百名山に含まれている山々も同様に(日本)二百名山の△△というように記したいと思います。日本三百名山の中で登頂した山の数を数えたら合わせて180名山((百名山100の内)100+(二百名山99の内)72+(三百名山101の内)8)になることがわかりました。今後、残りの120名山を2020年中までに全て登り終えるつもりで、引き続き登山を続けようと思っております。
 さて北海道の残りの二百名山は、カムイエクウチカウシ山(通称カムエク)とペテガリ岳の2山となりました。どちらも長歩程でクマさんの出やすい所でもあります。それで、クマさんの活動が暑さで鈍くなり、食物も豊富でお昼寝していても余裕があり、のんびりしていられると思われる7月後半~8月(※1)で、さらに長く行動できる日照時間の長い時期の7月下旬~8月上旬(※2)が登山に適しているように思われます。あとクマさんの習性も知っておく必要もあります。(URLアドレス⇒https://higuma.etc64.com/ 、http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%92%E3%82%B0%E3%83%9E 、http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-aeb2.html(※4)など。)(※3)これまでの経験からだと9月中~下旬に行きたくなるところでしたが、考え直しました。
 これらの計画の見直しは、最近の真のお母さまのみ言によります。これからも随時計画の見直しがあるかも知れません。三百名山は日本山岳会が選定されたもので、自分の好みに適していない場合は登山対象から外したり、あるいは逆にお気に入りの山があれば、それを名山としてみたい気持ちもあります。(後付けになるかも知れません。自分の胸に秘めておくのがいいのかなあと思っています。)
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第二節 神様と人類の希望である平和世界

 1 人類が善になるためには、まず人類を形成している個々人が善にならなければなりません。そのようにならなければ、人類が善になることはできません。結局は、一人一人が真の立場に立って、平和の動機となり、あるいは、善の結果の立場に変わることなく、永遠に立ち続けなければならないのです。そのようにならなければ、いくら平和な世界になることを願ったとしても、この世界が平和の世界になることはできません。

  平和の王と平和王国
             ・
 15 平和の王がいなければ、平和は永遠に成し遂げられません。人間が平和の王にならなければなりませんか、神様が平和の王にならなければなりませんか。それは言うまでもなく、神様が平和の王とならなければなりません。その平和の神様がいかなる神様なのか分かるようになれば、その息子となり、平和の神様の息子になれば、平和のみ旨を受け継ぐので、地上において王権を受け継ぐことができる後継者になるのです。

 16 世界を一つにすることは、偉大な力や、偉大な知識ではできません。愛でしなければなりません。自分を犠牲にさせてでも、すべての責任を完遂しようというところで世界平和が成し遂げられるのです。力で統一させたものは力がない時には分かれますが、犠牲で統一させたものは、力がなくても分かれません。神様は、知恵の王なので、長期的に残る統一的な原則を立てておきました。犠牲になりなさい、ために生きなさいという原則、愛の原則を立てておいたのです。そのように生きるようになれば、愛は自然に芽生えるのであり、喜びが自動的に広がります。ですから、「私」を犠牲にしなさいということ、人のために生きなさいということは、宇宙と通じることができ、天の永遠の愛と最も近い距離に立つことができるようにするための一つの主張なのです。

 17 存在世界を法則的に推し量って公式化し、これで知識の一部をつくり上げたものが科学です。科学がすべてではありません。私たちは、自らの皮膚を触れば体温を感じ、もちろん感触もありますが、そのほかに感じられる何かがあるというのです。宇宙の理念は、私たちの生活を収拾していきながら、私たちが反対方向に行こうとする時には、「宇宙の目的と一致する方向に行きなさい」と言います。
 ですから、大きな物でも小さな物でも、どのような物だとしても、それらはすべて天地を創造された神様の大理念圏内に存在します。神様は、愛を中心として、それらを造られました。そのように造られた大宇宙は、神様が見つめる時、最高に喜楽を感じられる平和の世界にならなければなりません。その目的が成就されて、神様は「私は幸福だ」と言うことができなければならないのです。
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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)



※1:‘8月’から‘7月後半~8月’へ修正致しました。(7/28 午後6時21分ごろ)
※2:‘8月上旬’から‘7月下旬~8月上旬’へ修正致しました。(7/28 午後6時21分ごろ)
※3:‘また8月は~。’から‘クマさんの習性も知っておく必要もあります。(URLアドレス⇒~ など。)’へ修正致しました。(7/28 午後6時21分ごろ)
※4:‘、http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-aeb2.html’を追加挿入致しました。(7/29 午後6時50分ごろ)

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一昨日(7/24(月))は北海道の暑寒別岳に登りました。

 こちらでは、梅雨前線が関東南岸まで南下してきて、戻り梅雨のお天気模様になっています。明日には梅雨前線は本州付近では解消するようです。代わりに日本の南東海上を西にゆっくり進んでいる台風5号の影響を受けるようになりそうです。北海道ではこれまで梅雨前線の影響はほとんどなかったようです(昨日は気圧の谷の影響で所々雨が降ったようです。)が、北上して北海道の東海上付近に残った梅雨前線の影響を明後日くらいから受けるようです。
 一昨日(7/24)は旭川空港に朝一番の飛行機で行き、レンタカーを借りて暑寒別岳の登山口(暑寒沢コース(CT(コースタイム:歩程時間)は8時間30分))まで行きました。当初は標高差の少ない箸別(はしべつ)コースを登る予定(CTは9時間)でしたが、登山口に着く時間が遅くなり(11:30頃)、CTの短いコースを登ることにしました。登山口を11:35頃に出発し頂上に15:33に到着、15:43に下山を開始して元の登山口に18:30頃に着きました。お天気は雲が多めで、途中、標高1,000メートル付近からガスに包まれましたが、8合目(屏風岩)付近(標高1,200メートル)からガスから抜け出て、頂上に着く頃には、湧き上がってくる雲はほとんど無い状態でした。海の方に雲がかなりありました。雨竜沼湿原が遠くに見え、湿原の上空にガスが湧いてて雨竜沼湿原は8割方くらいしか見えませんでした。でも南暑寒別岳のように湿原が眼前に広がって見える感じではなく、それほど感慨深くなることはなかったです。暑寒別岳頂上からの眺望は素晴らしかったです。頂上にはエゾシマリスの親子(多分?)がチョロチョロしていました。頂上付近の台地に生えているハイマツの中にも子供(かな?)のエゾシマリスが人なつこそうな感じで、あまり逃げずにいました。花期の盛り(7月上旬かな)は過ぎていましたが、それでも頂上付近の台地では、黄色や紫の花がかなり咲いていて、心癒されるひとときを過ごせました。登山中に出会った人は、9人だったと思います。(※3)
 大変だったのは、アブや蚊が多かったことです。歩いていてもアブが腕に止まり、チクッとしたときに素早くもう片方の手のひらでパチっと叩き落としていました。(もちろん殺すつもりではなく気絶させる感じで。)(※2)30匹以上は落としたと思います。あと時々、手のひらで腕の表面をなでで払うようにしていました。じっとしているとアブの大群が体の周りを飛び回り大変な状況に。できるだけ腕や体を動かすようにしていました。(何合目の標識のある所は、人が立ち止まりやすいせいか、アブの数が多かったです。)腕に止まってすぐに気づく場合と、気づかない場合があるようです。右手に3カ所、左手に1カ所、アブに刺された後がありました。おそらく皮膚の痛点に遠い所で、気づくのが遅くなったのではと思います。半袖のシャツで行ったのがいけなかったのですが、今回は長袖のシャツを持って行くのを忘れてしまいました。
 パチっと手のひらでアブを叩く時ですが、体(体幹)は動かさずに、アブの止まっている手の動きはそのままで、もう片方の手だけ動かすのがポイントのような気がします。ゴルフにも通じるものがあるかもです。心身統一、精神統一のような気がします。みなさん、このようなことも祝福を受けることで、容易に行うことができるのですね。雑念(アブがいやだとか、面倒だとか。)があるとアブに気づかれる体の動きをしてしまうのだと思います。何も考えずに、ただアブを叩くことだけに専念するのですね。
 水流のある所ならば、アブや蚊の幼虫が水に流されたり、あるいは魚がいれば魚に食べられたりして、アブや蚊の発生は抑えられるのだと思いますが、残雪が解けてできた水溜まりがある所では、アブや蚊が大量発生するのだと思われます。
 あとクマさんですが、登山口近くにクマ注意の看板があって、3合目~8合目の間でクマの糞があるとのことでしたが、5合目、6合目付近でクマの糞が2個ありました。地図上でも6合目付近でクマ注意の表記があります。ここも熊鈴必携ですね。あるヤマレコで見たのですが、クマさんは暑いのが苦手なようです。なるほど、それで芦別岳のように涼を求めて、頂上付近や雪渓のある所に現れるのだと思いました。昼間の暑い時は、おそらくクマさんはお昼寝しているのではと思われます。(山頂でお昼寝したいのでしょうか。)そして早朝や夕方の涼しい時に活動するのだと思われます。毛勝山のヤマレコにありましたが、人があまり通らない登山道の近くでは、クマさんはお昼寝している可能性があり、お昼寝していたクマさんが突然の人の気配に気づいてビックリして、ザザザーっと慌てて動くようなこともあるようです。
 クマさんの糞のある所を注意深く見ると、体の姿勢を保てる比較的広い所で、敵に見つけられにくい見通しの悪い所(登山道の曲がり角や笹や木の枝が覆いかぶさっているような所)のような気がします。
 いろいろ勉強になります。花の時期も最近になって、笈ヶ岳(おいずるがたけ)や焼石岳に登って、こんな感じの時が花が多く咲くんだなあとわかるようになってきました。秋田駒ヶ岳は、焼石岳ですれ違ったお二人の記録を見ると、7月上旬が素晴らしいようです。今の時期は、北海道では標高2,000メートル級の山々、本州では標高3,000メートルに近い高峰でみられるのではと思われます。ニッコウキスゲは尾瀬の大江湿原では、これから8月初旬頃までが見頃のようです。(※1)長野県の美ヶ原や車山高原(霧ヶ峰)では今年は7/20(木)頃までが見頃だったようです。これらの天空の開けた高原では、まさにメルヘンチックな世界が広がっているように思われます。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第二節 神様と人類の希望である平和世界

 1 人類が善になるためには、まず人類を形成している個々人が善にならなければなりません。そのようにならなければ、人類が善になることはできません。結局は、一人一人が真の立場に立って、平和の動機となり、あるいは、善の結果の立場に変わることなく、永遠に立ち続けなければならないのです。そのようにならなければ、いくら平和な世界になることを願ったとしても、この世界が平和の世界になることはできません。

  平和の王と平和王国
             ・
 12 カインとアベルは、神様の愛を中心として生まれた息子、娘ではありません。アダムとエバは、神様のむちによって追われ、追い出された私たちの先祖です。本来、アダムとエバは神様から、「愛するアダムよ、愛するエバよ、万宇宙の創造目的の世界、愛の園を建設するために、私はあなたたちを造ったのだから、あなたたちは平和の王であり、幸福の王である」という祝福を受けなければなりませんでした。この地上のほかのいかなる存在も王になることはできません。私たちの先祖だけが王にならなければならなかったのです。アダムは、千秋万代、永遠無窮に地上の王として、天上の王として立つことができたはずだったのです。天地が生じたのちに、神様と人の関係が生じたのちに、初めて「王」の名をつけることができた方が、正に私たちの先祖アダムだというのです。

 13 天は、人間が堕落して以来、四千年の歴史の中で選民を選び立て、彼らに「あなた方の指導者であり、あなた方の主人であり、あなた方の平和の王子であり、自由の王子であり、幸福の王子になる人を送ってあげよう」と約束しました。そうして、天は、幸福の主人公であり、平和の主人公であり、自由の主人公であって、天の恨(ハン)を解き、天の福を紹介できる一人の存在として、長い歴史を経てきながら約束していたそのお一人を送られました。
 そうして、長い歴史を経てきながら約束したそのお一人が現れましたが、選ばれたイスラエル選民はそのお一人を迎えることができず、歓迎してそのみ旨のとおりに生きることができず、その方のみ旨のとおりに団結して天のみ旨を立てて神様の恨を解くために闘うことができなかったために、恨めしい歴史は今まで延長を繰り返してきているのです。平和の王子であり、幸福の王子であり、自由の王子として来られた方は、堕落以後四千年の歴史過程の恨めしい心情を引き受けてこられたイエス・キリストだったのです。

 14 皆さんが宇宙的な天国の理念を身代わりすることができる存在となり、神様の愛と生命と真理の運動を展開すれば、平和の世界がこの地に建設されるでしょう。ですから、自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないというのです。皆さんは、すべての人を自らの父母、兄弟、子女と思うことができる人格を備えた人になれば、死亡の世界で苦しんでいる多くの民を見つめるとき、涙なくしては向き合うことができないはずであり、兄弟や幼い人々を見つめるときにも、「彼らを救おう」という責任感をもって、涙を流しながら努力するようになるはずです。本当にそのような皆さんになれば、皆さんを中心として、この地に天国が建設されるでしょう。

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(み言 おわり)

 上記項番13で送られたイエス・キリストの代わりとしての再臨主が、真のお父様であられる文鮮明先生であり、神様が天地創造当時、アダム(男性)とエバ(女性)を造られたように、真のお父様(男性)の相対者(女性)としての真のお母様として送られた方が、韓鶴子総裁でいらっしゃるのです。
 このお二人を歓迎してそのみ旨のとおりに生き、お二人のみ旨ののとおりに団結して天のみ旨を立てて神様の恨(ハン)を解くために闘ってきた人たちが、家庭連合の祝福家庭、統一食口たちです。そして恨めしい歴史を延長せずにここで終結させる時が来ていることを、みなさんに良く知って頂きたいと切に思うものです。皆さんも祝福を受けて祝福家庭となればいいのですね。天国人となるのですね。

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)



※1:‘8月上旬頃までが見頃だと思います。’から‘8月初旬頃までが見頃のようです。’へ修正致しました。(7/27 午後11時00分ごろ)
※2:‘(もちろん~感じで。)’を追加挿入致しました。(7/28 午前11時23分ごろ)
※3:‘登山中に~思います。’を追加挿入致しました。(7/28 午後0時18分ごろ)

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