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一昨日(7/19)はどちらも日本二百名山の、新潟県にある荒沢岳と福島県と栃木県の県境にある帝釈山に登りに行きましたが、実際に登ったのは帝釈山のみでした。

 一昨日(7/19)にはまた、関東甲信、東海、近畿、中国地方でも梅雨明けの発表がありましたが、これから北側に寒気を控えた梅雨前線が東北地方まで南下し、南からは(※2)低気圧からの湿った空気が流れ込んでくるとのことで、お天気は変わりやすくなりそうです。北日本では大雨に注意が必要なようです。
 一昨日は自宅を15:00に出発し、関越自動車道の小出インターチェンジを降り(20:00頃)、次に国道352号線(途中から奥只見シルバーライン利用。)で荒沢岳登山口まで行き(21:00頃着)、さらに国道352号線を通って帝釈山登山口(馬坂登山口)まで行こうとしましたが途中で眠くなり駐車場(標高1,000メートル近くあると思われます。)に車を止めて(21:50頃)、一夜を明かしました。(風邪を引いたのでしょうか、体調があまり良くなかったようです。)翌朝(7/20)4:50頃出発し帝釈山登山口(猿倉登山口)に7:50頃到着。帝釈山頂上に10:50に到着、11:00に下山を開始して元の登山口に13:30頃着きました。帰りは国道352号線をそのまま進み、さらに国道121号線に入って今市まで行き、そこからは高原山に登った時の帰り道と(※4)いっしょでしたが、宇都宮市内で道を間違え、また国道352号線に入り、国道352号線の終点の下野(しもつけ)市内の国道4号線(日光街道)との交差点まで行きました。今回はバイパスを使わずに日光街道を上りました。
 最初、荒沢岳、帝釈山の順で1日で登ろうとしましたが、関越道の塩沢石打SA(サービスエリア)内の食堂でちょうど見たテレビの天気予報で、帝釈山方面は午後から雨が降る予想になっていたので、最初に帝釈山を登ることになったものです。そして荒沢岳登山口から帝釈山の登山口までは予想以上の時間がかかりました。荒沢岳登山口から途中の御池PA(パーキングエリア)までは一車線の道で、おまけにくねくねした道(地図上の目測より距離も長く。)でスピードも出せませんでした。このため荒沢岳に登るのはあきらめて帝釈山だけ登ることにして、登山口を馬坂登山口(ここから帝釈山頂上までは往復1時間半くらい)から猿倉登山口(ここから帝釈山頂上までは往復5時間半くらい)に変更しました。
 猿倉登山口だと帝釈山頂上に行くまでに「雲上の楽園」と言われている(※1)田代山湿原を通りますが、空が開け、遠方に残雪のある会津駒ケ岳の山並みを眺めながら、湿原の中で、白のワタスゲがたくさん咲いている中に黄色のニッコウキスゲや青紫の小さい花のタテヤマリンドウ、あと名前はわかりませんが赤紫色の花が咲いている様は、まさに別天地のようで心が和み、心癒されるひとときを過ごせました。(お花の盛りの時期は6月かな。)帝釈山頂上からの眺望は良く、残雪のある会津駒ケ岳がきれいに見え、尾瀬の燧ケ岳や日光の男体山や女峰山なども同定できました。帝釈山は日本の中央分水嶺(※3)に当たる所のようです。出会った人は15、6人くらい。老齢で夫妻で来ている人が多かったです。(若い人は、カップルが一組とお兄さんが2人です。)やはりお花が咲いているからなのでしょう。私も早く彼女と二人で来てみたいです。若い人たちも帝釈山に来るぐらいの活力があるといいですね。日本も変わるかもしれません。
 それから朝起きた時に、奥只見湖の湖面が雲(霧)に包まれて、風に流される様は幻想的でした。今頃は雪解けの冷たい水の上で梅雨明けした夏の湿った空気が冷やされて、湖面に雲ができるのだと思われます。寝ぼけまなこが一気に目覚める素晴らしい風景でした。国道352号線はおすすめですね。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第二節 神様と人類の希望である平和世界

 1 人類が善になるためには、まず人類を形成している個々人が善にならなければなりません。そのようにならなければ、人類が善になることはできません。結局は、一人一人が真の立場に立って、平和の動機となり、あるいは、善の結果の立場に変わることなく、永遠に立ち続けなければならないのです。そのようにならなければ、いくら平和な世界になることを願ったとしても、この世界が平和の世界になることはできません。

  平和と神様
             ・
 9 本然のエデンの園は、生命の園でした。そして、ある時間圏内にとどまる生命の園ではなく、永遠を中心として現れる生命の園なのです。その生命の園がこの地に造られたとすれば、人間は生命をもった存在として、神様の生命の恩賜に対する感謝と永遠の楽しみをもつことができたでしょう。また、本然のエデンの園は、人間がすべての生命の主人の立場で、生命の光を現すことができる世界でした。

  平和の王と平和王国
 10 皆さんは、アダムとエバが世界基準において完成した国を中心として、一つの統一的大家族になるのです。この統一的大家族は国ではありません。霊界と肉界を中心として新しい一代先祖、二代先祖を編成し、氏族と民族と国家と世界を編成するという、歴史的な最終ページの結論を下すことが残っています。ですから、どれほど深刻ですか。神様の祖国と平和王国時代を発表しました。その時が来るので、すべての存在物は、神様の祖国と平和王国の上に立たなければなりません。ですから、神様の祖国と平和王国は、解放・釈放圏の上に立たなければ、神様の所有として扱うことはできないのです。

 11 私たちが取り戻すことを願う本然の園は、幸福の園であり、神様に賛美と感謝をお返しすべき世界です。また、その世界は生命を中心とした希望の世界であり、生命と愛を中心とした平和の価値と統一の価値が実現された世界です。そして、そのような人間のすべての価値が結合して、美として現れる世界であり、すべての個体が歌とほほえみと踊りによって、神様の生命と永遠の愛を賛美する世界です。さらには、人間が動く通りに被造物が共に動きながら、和道する世界です。神様は、このような創造本然の世界を、人間を通して成し遂げようと願われたのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)



※1:‘「雲上の楽園」と言われている’を追加挿入致しました。(7/22 午前6時45分ごろ)
※2:‘熱帯’を削除致しました。(7/22 午前11時24分ごろ)
※3:‘(日本のおへそ)’を削除致しました。(7/22 午前11時24分ごろ)
※4:‘基本的には’を削除致しました。(7/23 午前11時45分ごろ)


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昨日は教会の人たちとの登山は取りやめになりました。やはり梅雨前線が近くにあり、お天気が急変する可能性があったので。

 今日は上空に寒気が入って大気が非常に不安定となり、午後から雷雨の予報になっていましたが、さきほどから予報通りに雷雨になりました。すぐ近くに落雷がありました。雷雨前の上空の空模様は水分をたっぷり含んだ感じで白っぽくなっていて、いかにも雷雲が発達しそうな感じでした。
 今年はぶどうがたくさん生って、さきほど雷雨前に半分(20房ぐらい)ほど収穫してみましたが、まだかなり酸っぱかったです。なかなか収穫する時期も難しいものがありそうです。
 すももを食べてみて感じましたが、種の近くほど酸っぱいですね。おそらく鳥などの動物たちに種を食べられないようにするための知恵が働いているのだと思います。(もちろんこの知恵を授けられた方は神様ですね。)ぶどうも鳥に食べられているものが少なかったので、もしかしたらまだ実が熟していないのかなあとは思いました。鳥(おそらくムクドリ)はまたぶどうの葉を食べているコガネムシも食べてくれているようです。
 昨年と同じく、ユリのカサブランカが咲いています。匂いで咲いているのがわかります。
 今年は雷の多い年になるのでしょうか。雷の多い年は、よく稲の豊作になるということを聞いたことがあります。(雷の放電でオゾンができるかららしいです。)
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第二節 神様と人類の希望である平和世界

 1 人類が善になるためには、まず人類を形成している個々人が善にならなければなりません。そのようにならなければ、人類が善になることはできません。結局は、一人一人が真の立場に立って、平和の動機となり、あるいは、善の結果の立場に変わることなく、永遠に立ち続けなければならないのです。そのようにならなければ、いくら平和な世界になることを願ったとしても、この世界が平和の世界になることはできません。

  平和と神様
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 6 完成した個人への道は、神様の創造理想に向かう道と同じです。神様が万物を造られたのは、ただそのまま見て、向き合うためではありません。喜ぶために造ったのです。喜ぶことによって幸福になるのであり、幸福になることによって、そこにお互いの平和な環境が成り立つのです。
 喜びを感じるところには、お金が必要ではなく、人が必要なのでもありません。ここには、互いに切ろうとしても切ることができず、神様が父として息子と向き合うことができる喜びの要素、喜びの力がなければなりません。いかなる力も除去できず、防止できない絶対的な力、主体的な力でなければなりません。
 そこには、「その一つだけが私たちの絶対理想だ」と言って追求できる道がなければなりません。それが決定されなければ、互いに理想の主体であり、理想の相対者をもつことはできません。ですから、喜びを生み、幸福の問題を解決できる中心要因とは何でしょうか。私たちの平和の起源となる核とは、何でしょうか。これは、絶対的な神様の愛と相対的な関係を結ぶ立場しかないのです。

 7 世界の問題を解決するために、最も重要なことは何でしょうか。神様はいるのかいないのかという問題をはっきりと解明することが、何よりも重要な問題であると見るのです。もし、神様がいることを全人類が分かる日には、神様のみ旨がどのようなところを指向するのかがはっきりと分かるようになり、その指向するみ旨が分かるようになる時には、その世界はそれこそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界に間違いないということが分かるようになるでしょう。

 8 平和の世界を人間だけで夢見るということは、否定的で可能性がありません。なぜでしょうか。皆さんの心と体を見る時、その闘いがどれほど熾烈(しれつ)でしょうか。ですから、先生も修養路程にいる時、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」というのが標語でした。この体がどれほどしぶとくて強いか、いつも道を遮るようになっています。宇宙を主管する能力があるとしても、自分を主管するのは難しいというのです。本質がそうなっているので、混乱した有様になっているこの天地間において、平和や統一を語りながら一つの世界を夢見るというのは、妄想にすぎません。しかし、神様がいる限り、神様がいるならば可能なのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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昨日までは、風も海風という感じで空気の湿り気も少なくなり、夏の青空が広がり、洗濯日和にもなっていました。

 梅雨が明けたような感じでしたが、今日は少し雲が多めで、もしかしたら雨が降りそうな感じもしています。梅雨前線が今夜にかけて本州付近を南下するようです。
 先週の木曜日(7/13)は東北自動車道(さらに山形自動車道利用。)で山形に行く途中、積乱雲があちこちに見えました。次の日(7/14)は以東岳の登山口のある所まで車で行きました。よく晴れていて、これならば登山ができたかなあと思いました。でも暑そうでした。帰り道、午後には蔵王山方面で発達した積雲系の雲が多くなっていました。帰り道は基本的には国道112号線→国道13号線で福島まで行き、福島から東北自動車道で都心へ向かいました。(山形自動車道を使わなくてもかなり早く行けそうです。その地に行くと、コンビニでその地(都道府県や市町村)の地図を買うといいです。)米沢市付近を通る時に、激しい雷雨に見舞われました。(それでも15分くらい。)次の登る機会はまだわかりませんが、今年10月には以東岳の頂上付近の山小屋が新しく建て替えられるそうです。この時期は紅葉も見頃で、登山者が殺到しそうです。(ちなみに、この以東岳は日本200名山のガイドブック(上巻)(昭文社発行)の表紙を飾っている山です。手前側に黄色いニッコウキスゲの花が咲いています。山頂右斜め下(写真中央付近)に山小屋も見えます。)
 さて昨日は、私の父の一周忌の法要がありました。これで少し気が楽になりました。三回忌(三周忌)は、さ来年ではなく来年に行います。今の時期、ちょうどお盆の時期にも近いのでお盆の法要は(しなくていいかみたいな感じで)しなくてすみ、昨年も初盆(ういぼん)の法要はしませんでした。その意味では楽ですね。お坊さんも大変そうですし。昨日は午後遅くからの法要でしたが、それでもお墓のある所は日が差して暑く、午後5時半頃になって少し涼し気になってお坊さんが、あっ、この頃から始めるとちょうどいいね。今の暑い時期、これからこの時間にしようなどと言っておりました。
 明日は、教会の人たちと山に登る予定ですが、まだお天気がいいかどうかわからず、登山するかどうか決めかねている所です。明日は梅雨前線がちょうど山の近くで停滞するようなので。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第二節 神様と人類の希望である平和世界

 1 人類が善になるためには、まず人類を形成している個々人が善にならなければなりません。そのようにならなければ、人類が善になることはできません。結局は、一人一人が真の立場に立って、平和の動機となり、あるいは、善の結果の立場に変わることなく、永遠に立ち続けなければならないのです。そのようにならなければ、いくら平和な世界になることを願ったとしても、この世界が平和の世界になることはできません。

  平和と神様
 2 人類の先祖は、堕落したので神様の息子、娘になれませんでした。息子、娘になれなかったので、真(まこと)の子女になれませんでした。そして、自分たちの考えでカップルになり、息子、娘を生むようになり、そこから氏族ができ、民族ができ、国家ができるようになったのです。これは、神様を中心とした原則的な愛を中心として完成されなければなりませんでしたが、それができなかったのです。平和の世界や理想の世界や幸福の世界というものは、神様の愛を除いてはあり得ないのです。

 3 歴史はメシヤを迎えるための、神様を中心とした歴史です。ですから、今まで神様とサタンが対立してきたのです。神様がプラスならば、サタンはマイナスにならなければならないのですが、プラスになっているので反発するというのです。それで、これをマイナス圏にして、サタンが屈服できる関係を通さなければ統一ができないのです。統一されなければ、エデンの園、平和の世界は出発することができません。天の側がアベルになって、この世の中にやって来なければなりません。ですから、一つになる所には平和が、争う所には戦争と破壊と滅亡が訪れるのが原則です。アベルは、争うために来る人ではなく、統一をして平和を成し遂げるために来る人なのです。

 4 人類は、真の心理、不変の真理を求めてきました。それとともに、愛と理想と幸福と自由を追求することを継続しています。いくら混乱した世の中で、いくら絶望の世界だとしても、私たちがこのような希望を諦めないまま、そのような真の愛や理想や幸福や平和が存在することを願う心をもっていることは、間違いない事実です。
 それでは、ここで問題になることは、神様はどうなさるのかということです。神様も真の愛の世界、真の理想の世界、真の幸福と平和と自由の世界を追求せざるを得ません。それは、人間が追求するのも、神様が追求するのも、同じです。それでは、「愛」や「理想」や「幸福」や「平和」というそれらの言葉は、独りを対象として語る言葉でしょうか、でなければ相対的関係で成立する言葉でしょうか。その言葉は、独りで成立する言葉ではありません。独りで愛が成立しますか。独りで理想が成立しますか。独りでは幸福や平和というものはあり得ません。このような言葉は、相対的関係で成立する言葉なのです。

 5 あらゆる学問を超越し、社会の構成や体制、あるいは慣習を超越して決定すべきことは、神様の問題から始めなければなりません。始まりは神様にならなければなりません。その神様は、最初から過程を経て人間を造ったならば、その創造理想の実現、その目的地まで行くことができる道を再発見しなければ、平和の世界は成し遂げることができません。平和の世界は、一つの世界だからです。
 人間が行く方向と、神様が行く方向の二つの方向があるというときは、一つの平和の世界は現れないので、不可避的に、結論は一つの方向とならざるを得ません。ですから、人間を第一とした世界を打破し、神様第一主義の世界を決定しなければ、一つの平和の世界に行ける道を発見することはできないのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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今、山形市内におりますが、明日の天気図を見ると、梅雨前線が山形付近にありそうなので、以東岳の登山は止めようと思います。

 標記の件の通りです。明日は下調べで登山口近くの駐車場まで行くかも知れません。

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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今週は私の父の一周忌の法要も控えていますが、その前に残雪とお花を見に以東岳に登ってみたいという気持ちにもなりました。

 以東岳も車中1泊、日帰りができそうな気がしてきました。北アルプスの日本二百名山の1つである針ノ木岳(はりのきだけ、標高2820.6メートル、富山県と長野県の県境にあり。)も、ヤマレコを見ますとまだかなり雪が残っているようで、車中1泊、日帰りで残雪とお花が楽しめそうです。それからどちらも日本二百名山の、新潟県にある荒沢岳(あらさわだけ、標高1968.7メートル)と、栃木県と福島県の県境にある帝釈山(たいしゃくさん、標高2059.9メートル)は近くにあり、車で山小屋1泊2日の行程で登れそうな感じです。さらに能郷白山が車で日帰りができそうです。これからテント泊の準備もしなければならず、教会の人との登山や知人との登山もあり、いろいろと忙しい夏となりそうな状況です。
 最近はゴダイゴのCD(国道25号線の天理PAで買ったベスト・コレクション)もよく聴きますが、曲の題名にもホーリー(Holy)&ブライト(Bright)とあるように、ホーリー(Holy)な(聖なる)ものを明確に打ち出しているCDのように思えます。(※1)そういえば今の世の中、ホーリー(Holy)なものに欠けている気がします。自己中心の欲望が過ぎたるものとなり、より強い刺激を求めて(このため無理に悪いものまで手を出して)いるような、獲物を求めて嗅ぎまわっている猛獣たちに囲まれ、狙われているような、心安らぐ世界ではないような感じです。このゴダイゴのCDの曲は刺激は強くなくても、心が安らぎながら満足できる内容になっている感じがします。欲深にならなくても満足できるような平和な世界が必要であると感じます。神様に愛されるようになれば、そのようになると思いますが、そのために天地人真の父母様による祝福が必要です。
 この世の堕落世界は、為にならないことをして希望を失っている世界です。悲しみの世界です。真のお母さまも最近よく、この世界は暗澹(あんたん)たる世界であるということを言われています。神様の愛を受けなければ生きていけない状態です。私たち統一信徒、祝福家庭は神様の愛を受けることのできる位置にあります。しかしながら神様、真の父母様は、世界全人類を救いたいという願いを持っておられます。それで私たちは天地人真の父母様による祝福をすすめる次第です。
 今、九州地方では激しい雨が降って多くの犠牲者が出ております。過剰な自己中心的な思いを持つ人々や国々により気候が破壊されつつあると思います。そのしっぺ返しのように思われます。天候も獰猛(どうもう)になり牙(きば)をむき出してしまっているようです。ガンの病もそうなのだと思います。(強い恨みを持った霊たちの仕業であることを、以前、大母様から聞いたことがあります。)
 いじめの問題もそうです。弱者を虐(しいた)げる心は、自分さえ良ければ他人のことはどうでもいいという自己中心の強い思いから来ていると思います。そのような人たちは、もう人の前に、人の上に立てなくなるのではないかという危機感を感じます。自己中心の強い思いで好き勝手、したい放題している人たちは猛省して悔い改めるべき時が来ているのだと思います。
 真のお母さまも深刻であるとおっしゃられています。早く平和な世界、天国を築かなくてはいけないと差し迫って切に思うものであります。平和を愛する私たち(統一)勇士たちも、ひるまずに力強く進んでいかなくてはいけないと切に思うものです。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和の概念

             ・
  平和と自由
 29 世界人類は、平和を待ち望んでいます。さらには、自由を享受する個人となり、自由の社会、自由の国、自由の世界で生きることを、誰彼を問わず願っています。「私」の心に平和がなく、私の心に自由がなければ、真(まこと)の幸福はあり得ません。真の人生の道を歩もうという人がいるとすれば、彼は、真の平和の中で真の自由を謳歌(おうか)し、真の幸福を享受することを願うでしょう。今日、優れた人も愚かな人も異口同音に、「この世界は平和の世界になっていない」と言っています。自由を叫んでいますが、自分の心情のままに生きられる自由な環境になっていないことを自認しています。ですから、人間は、理念的に待ち望む幸福の自分になり得ていないという事実を否定できないのです。

 30 あらゆるものは、起源が良いものを訪ねていきます。また自由な所を訪ねていくのです。幸福なものを訪ねていくのです。自由は自由なりに、幸福は幸福なりに、平和は平和なりに、別々の道を行くのではありません。歩調を合わせていかなければなりません。それでは、平和の中に自由がなければならないのでしょうか。自由の中に平和がなければならないのでしょうか。平和の中に自由がなければならないのであって、自由の中に平和はあり得ません。平和は、二人が互いに和合することです。それは、お互いが譲歩するときに可能なのです。

 31 サタン世界の愛を中心としては、自由がありません。平和がありません。幸福がありません。希望がありません。永遠の生命がありません。それを蕩減(とうげん)復帰しなければなりません。物権、人権、愛権を復帰することによって、そこから自由が生じるのです。ですから、心と体が一つにならなければなりません。人権を本来の姿に戻しなさいというのです。心と体が一つに統一された基準でのみ自由があります。祖父と孫の嫁が一つになれば、秘密裏にドアを開けて入ろうと、どこに行こうとかまいません。壁がなくなるというのです。そのように一つになってこそ、自由があります。自由がなければ平和はないのです。

 32 統一された基盤の上に立たなければ、自由はあり得ません。心と体が闘っているのに、自由のふろしきを持ってきて、その自由にしがみついて「うれしい」と言うことができますか。自由が生じるのかというのです。とんでもないというのです。また、平和がどこにありますか。平和というものは、平坦(へいたん)な状態で、すべてのものが欠如することなく満ち足りていて自由なのです。ところが、心と体が闘っているのに、平和がとどまる所がありますか。幸福も同様です。心と体が闘っているのに、幸福を求めることができますか。とんでもないというのです。
 このようなすべての根本問題についてみるとき、心と体が完全に一つになる場においてのみ、自由を占有することができるというのです。心と体が一つになる場においてのみ、平和の基盤が生じるのです。心と体が一つになるところにおいてのみ、幸福が展開するのです。夫の心と妻の心、夫の体と妻の体が一つになるところでのみ、家庭の平和を中心として、世界に対する夢を見ることができるというのです。
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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)



※1:‘います。’から‘いるCDのように思えます。’へ修正致しました。(7/12 午後11時23分ごろ)

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7/6(木)に芦別岳、7/8(土)に夕張岳に登ってきました。大千軒岳には登りませんでした。

 初日(7/6(木))の芦別岳の登山旭川空港でレンタカーを借りて登山口に10:40頃に着きました。頂上に15:14に着き、15:25に下山を開始して、元の登山口に18:35に戻りました。(新道コース往復)その日は登山口近くの太陽の里という所で夕食を食べ宿泊しました。翌朝食は早朝4時の出発のため、おにぎりのお弁当を用意してもらいました。登山口の駐車場には既に10台ほどの車が止めてあり、頂上に着く1時間前ほどから15名ほどの登山者とすれ違いました。すれ違った人たちは皆(最後に出会った人を除いて。)(※1)、興奮気味に頂上近くの雪渓でクマさんを見たと言っておりました。クマさんは雪渓を沢沿いに降りていったということで、私が頂上付近に着いたときには、クマさんの姿は見かけませんでした。でも登山道には比較的新しいとても大きい、クマさんの黒い糞を5個ほど見かけました。うわあ、いるんだなあと思いつつ鈴を鳴らしながら、ひるむことなく登山道をひたすら進みました。頂上からは絶景が広がっていました。風はやや強め(風速7~8メートルくらいでしょうか。)でしたが、靄(もや)がかかった感じがあって、比較的近い十勝岳も霞んであまりよく見えませんでした。
 翌2日目(7/7(金))の朝は、結局午前7時頃に起きてしまいました。思い切って休もうということもあり、大千軒岳に登るのは止めました。代わりに長万部までドライブをしました。途中の有珠山SA(サービスエリア)から見える有珠山は素晴らしかったです。引き返して、夕張岳の登山口の手前9キロメートル付近にある通行止めゲート手前の駐車場に午後8時前に着きました。なかなか寝付けませんでしたが、2~3時間は寝れたように思います。(車中泊)
 3日目(7/8(土))は、午前3時45分頃に目が覚め、午前4時に出発です。頂上に10:58に着、40分ほど休憩してから下山を開始し、元の登山口に午後5時に着きました。(上りは馬の背コース、下りは冷水コース使用。)芦別岳と同じく頂上から絶景が広がっていました。2日前に登った芦別岳も良く見えました。風や靄の感じも芦別岳と同じでした。お花の時期も盛りを過ぎた感じでしたが、登山道や山頂下に広がる湿原に多くの花を見かけました。(天空の花園と言われるのに納得。今回は黄色や紫色の花が多く、たまに白い花あり。)30キロメートルの歩程に13時間かかりましたが、林道歩きは上り2時間半くらい、下り2時間くらいかかりました。林道途中で私を追い抜いていった6(※4)人の人たちを含めて、合計14(※2)人の人たちと出会いました。
 新千歳空港のレンタカー屋さんへは、道東自動車道も利用して午後6時半頃には着きました。飛行機は20:35発の羽田行きです。レンタカー屋さんから飛行場まで送迎バスが出ていますが待ち時間も含めてかなり時間がかかり、20~30分くらいは見込んでおいた方がよさそうです。ぎりぎりだったらまたまた間に合わなかったです。空港内も広いので移動に時間がかかります。今回、天丼屋さんとラーメン屋さんの2軒をはしごしたり、航空チケットの入手や荷物検査にも時間がかかり、ほぼぎりぎりに搭乗時刻(飛行機の出発20分前)に間に合いました。(レンタカー屋さんからは飛行機の出発時刻の1~1.5時間前にレンタカー屋さんに着くように言われていました。)(※3)昨夜平塚駅に着いたのが、午前0時を過ぎていました。とてもハードな山旅となりました。
 おかげさまで、これでようやく日本二百名山は70名山に登頂することができました。残りの30名山ですが、日帰りができなかったり長歩程だったり、ほとんど難しい山ばかり残してしまいました。でも今回の30キロメートルの山行は良い鍛錬になったと思います。大千軒岳はまた近いうちに暑寒別岳といっしょに登れればと思っています。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和の概念

             ・
  平和と幸福
             ・
 26 今日、世界の混乱状態を迎えた全人類は、国家を超越して平和世界を追求しています。しかし、人を中心とした平和は、今まで実現しませんでした。人々が願ったすべての平和は実現しなかったので、今、一つの可能性があり、希望を与えるところがあるとすれば、それは神様を中心とした世界平和の論理を提唱するところです。そこにおいてのみ、混乱した世界に新しい方向性、新しい歴史性を提示できる、その何かがあるはずです。このような結論は、論理的に追及するときに得られる、堂々とした結論です。
 この結論とは、天国です。天国を意味するのです。平和の世界、中心をもった平和の世界です。そのような所が天国です。その中心は、歴史性を克服しなければならず、宗派性を克服しなければならず、その次に民族性、人種性など、あらゆるものを克服しなければなりません。そのような立場において、変わらない一つの中心として残り得る所にならなければならないのです。

 27 宗教が行く道、倫理を中心として行く道、あるいは哲学が指向する真理の道において、幸福の世界を紹介できる平和と自由を、どのように求めなければならないのでしょうか。人の心情は誰でもみな同じです。数千年前にもった心情も、億千万年後に現れる心情も、すべて同じです。心情の世界は変わらないのです。
 同じ基盤で動く心情を引き出して幸福の園を成し遂げる世界、幸福を感じられる社会的な基準、幸福感を味わえる宗教的な意識、このようなものがこの地上にはないのでしょうか。もし、ないと断定すれば、神様はどこに存在するのでしょうか。神様は、人類と共にいらっしゃらないという結論が下されるのです。

 28 人類を抱き、摂理と倫理道徳を立てて善を指向させる天倫があるとすれば、天は必ず私たちと関係するあらゆることを解明してくれるのはもちろん、老若男女を問わず、これを心情的に肯定できるひと日がくるでしょう。そのような立場で和合して動じながら、この幸福が私たちの幸福であり、この平和が私たちの平和であり、この自由が私たちの自由だと声高に語ることのできるひと時が現れなければならないでしょう。そうでなければ、神様も、いかなる偉大な思想家も、私たちとは何の関係もありません。
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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)



※1:‘(最後に出会った人を除いて。)’を追加挿入致しました。(7/9 午後9時55分ごろ)
※2:‘13’から‘14’へ修正致しました。(7/9 午後9時55分ごろ)
※3:‘(レンタカー屋さんからは~。)’を追加挿入致しました。(7/9 午後9時55分ごろ)※4:‘5’から‘6’へ修正致しました。(7/10 午前1時07分ごろ)


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明日は出発する予定です。明日旭川空港に降りた後、レンタカーで芦別岳の登山口まで行く予定です。

 芦別岳、大千軒岳(だいせんげんだけ、標高1072メートル、日本三百名山の1つ。キリシタン殉教の地が近くにあります。)、夕張岳の順に1日1名山ずつ登る予定です。かなりの強行スケジュールです。2日目は余裕があれば、さらに函館で行われる女子プロゴルフの試合を見に行く予定でもいます。3日目の夕張岳は、登山口の手前約9キロメートルの所で、林道一部崩壊による通行止めとなっているため、通常より約9キロメートルほど余計に歩かなくてはならず、通常の歩程8時間に加えて行き3時間、帰り2時間ほど余計な時間がかかる見込み(合計13時間)です。またまた帰りの(飛行機の)時間を気にしながらのきつい行程となっております。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和の概念

             ・
  平和と幸福
             ・
 23 人のために生きようとする男性と女性が夫婦になったとすれば、そのような夫婦こそ、理想的な夫婦なのです。そのような夫婦こそ、真の平和の基準を求めることができます。そのような夫婦が、本当に幸福な夫婦だというのです。そのような夫婦こそ、永遠不変の真の愛の主体者となることができるのです。
 それでは、本当に理想的な父母とは、どのような父母でしょうか。自らのために存在し、自らのために生涯を送ろうとするのではなく、子女のために生まれ、その子女たちのために存在してきたと考える父母、子女たちのために生命を捧げて生涯を終えようという父母がいるとすれば、そのような父母こそ、真の父母です。このような父母こそ、真の平和、真の幸福、真の理想の父母です。
 子女は、自分が生まれたのも父母のために生まれたのであり、生きるのも父母のために生きるのであり、死ぬのも父母のために死ぬとすれば、その子女は孝子です。真の愛を受けることができる、真の幸福と真の平和と真の理想の子女にならざるを得ないのです。

 24 平和の起源、幸福の起源はどこに立てるのでしょうか。今、自分自身を中心として、「私は、自分のために生まれたのではなく、相対のために生まれた」ということを発見すれば、宇宙のすべての難問題は解決されるでしょう。堕落の原因は、アダムとエバが自分の自覚と自己主張をしたところにあります。神様のために生き、神様を主張しなければならないのに、反対になったというのです。ここにおいて、皆さんに一つの公式を提示することができます。ために生きるところでのみ、真の理想と幸福と永遠の世界が存続するというのです。

 25 いくら優れた男性でも、その男性は、男性のために生まれたのではありません。女性のために生まれました。いくら素晴らしい美女も、自らのために生まれたのではありません。男性のために生まれたというのです。ですから、存在の起源は、ために生まれるところから始まったと考えざるを得ません。神様が理想世界を創造した公式を、ここから探し出すことができます。ために生きるところでのみ神様の真の愛が出発でき、神様の理想的相対が顕現し、平和が成し遂げられ、幸福が成し遂げられるというのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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お天気が悪くなりそうなため、今日は暑寒別岳登山に向けて出発しませんでした。

 梅雨前線や台風3号の影響で、北海道でもお天気があまり良くなさそうになるので、今回の暑寒別岳登山は見送りました。暑寒別岳も残雪やお花畑が期待できそうな山で、雨の中や曇天下で生き生きしたお花の姿も見ることができそうですが、取りあえず延期することにしました。台風一過となりそうな今週の木曜日(7/6)から土曜日(7/8)にかけては芦別岳と夕張岳に登りに行く予定です。そういえば、7/7(金)~9(日)にかけて、平塚では七夕祭りが開催されます。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和の概念

             ・
  平和と幸福
 20 今日、世界人類は、自分たちも気づかずに、平和の世界、幸福の世界を追求しています。また、自由を追求しています。これはすなわち、根本的な自由の基盤の上に立つことができず、平和と幸福の根本となる位置に立てなかったからだ、ということを証明するものです。神様は、絶対者であられ、全能であられる方なので、その方によって造られたすべての万物は言うまでもなく、その神様が自由であられるならば、私たち人間も自由でなければならず、神様が平和な位置にいれば、私たちもその方と同じ位置に立たなければならないのです。

 21 自分自身というものは卑しいものだと思っていましたが、私たち個々人によらなければ神様の愛を完成させることができないという事実、「私」自体でなければ、神様の理想を成就させることはできないという事実、神様の幸福と神様の平和を完成させるためには、人間でなければならないという明確な事実を、今まで知りませんでした。不足な私ですが、神様の愛を完結させ、理想を完結させ、神様の幸福と平和を完結させることができる高次元的な価値の存在なのです。

 22 相手のために生きながら暮らしていこうという原則さえ掲げていけば、家庭では平和の家庭、自由の家庭、幸福な家庭、愛の家庭、社会でも平和の社会、自由の社会、幸福な社会が形成されるでしょう。国家と世界でも同じです。いかなるところでも、この原則を中心としていけば、幸福と自由と平和と愛が宿らざるを得ないという結論は当然なのです。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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明日、明後日にかけて(7/3(月)~4(火))、北海道の暑寒別岳に登りに行く予定です。

 梅雨前線の影響をあまり受けない北海道で、先ず暑寒別岳から登りたいと思います。ただ今週半ばには台風3号の影響を受けるかも知れず、台風の過ぎ去る今週後半に、同じ北海道にある日本二百名山の夕張岳(ゆうばりだけ、標高1667.7メートル)や芦別岳(あしべつだけ、標高1726.1メートル)に登れればと思っています。今年の梅雨は青空が結構多く見えて、家で洗濯するのには好都合になっています。
 暑寒別岳は前回と違って、北側の増毛(ましけ)町から標高差の少ない方の箸別(はしべつ)コースを登る予定です。でもヒグマの注意箇所が地図上に3カ所もあり、気が引き締まります。神室山では、バナナやすももなど、今思えばよくノコノコとクマゴローさんのたくさんいる場所に持って行ったなあと我ながら今さらながら、呆(あき)れ驚いています。今回は累積標高差では神室山より少ないと思われるので、今回は持っていかなくても大丈夫かなと思っています。(クマさんの嗅覚は、犬並みかそれ以上にありそうです。)
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和の概念

             ・
  平和と幸福
 17 神様の愛を受ける人になるとすれば、どうなるでしょうか。心と体はうれしいでしょうか、うれしくないでしょうか。そのような人は、不幸ではありません。神様が永遠であられるように、「私」も永遠に生きることができます。神様は、永遠の生命の主体であり、すべてのものを備えた方であり、私はその備えた方の愛の対象である以上、その方が悲しまない限り、私も悲しむことができず、その方が喜ぶ限り、私も永遠に喜ぶことができます。ですから、人間が完成するというのは簡単です。幸福であることです。平和で幸福であることなのです。それ以上は必要ありません。それは、すべてのものがいっぱいに満たされている立場をいいます。もちろん、その中には自由があるのです。また、願うものがすべて実現するのです。

 18 不幸な人とは、どのような人でしょうか。与えようとしても与えることができず、受けようとしても受けることができない人が不幸な人です。一人では、幸福はあり得ません。一人では、平和はあり得ません。平和というものは、相対的関係において展開するのです。「愛」や「幸福」や「平和」という言葉は、絶対に一人でいるときに成立するものではありません。相対的観念において成立する言葉なので、その相対が完全な相対でなければ、完全な幸福はあり得ず、完全な平和と、完全な愛はあり得ません。

 19 人間は、様々な努力をしてみましたが、人間が真に要求する真の人や、真の理想や、真の幸福や、真の平和といったものを願ったにもかかわらず、そのような要件を成就できる希望さえ喪失してしまった悲惨な状況に置かれています。この変わる人間像を超えて、永遠でもあり、不変でもあり、絶対的でもあるそのような方がいらっしゃるとすれば、その方こそ、私たちが知っている神様です。
 神様は、私たち人類が願う真の希望の中心であり、真の幸福の中心であり、真の平和の中心であり、真の愛の中心であり、真(まこと)の理想の中心です。神様は、愛の王であり、理想と幸福と平和の王です。神様と私たち人間が同じ願いの基準、同じ希望の位置、苦楽を共にできる位置に行くためには、神様を中心として、真の愛がどこから始まり、真の理想と真の幸福と真の平和がどこから始まるのかという根源を、はっきりと知らなければなりません。

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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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6/27(火)に焼石岳、6/29(木)に神室山に登ってきました。

 6/28(水)は天候があまり良くないと思われたためお休みしました。焼石岳は東北新幹線(一ノ関駅まで。一ノ関駅から水沢駅まで在来線の東北本線利用。)を使って日帰りしました。神室山も山形新幹線(新庄駅まで。)を使って日帰りしようとしましたが、下山が遅くなり、最終の新幹線に間に合わず、新庄駅前のホテルに一泊して、昨日のお昼過ぎに帰宅しました。いずれの山も登山口までレンタカーで行きました。焼石岳は、登山口を11:00頃出発しましたが、コースを間違えたため(金明水避難小屋へ行くコースを尿前(しとまえ)川渡渉地点まで行きました。)、引き返して再度12:00頃に登山口を出発しました。(中沼コース往復。)頂上に着いたのが15:00頃、15:15に下山を開始し、東焼石岳に16:00頃に寄ってから、元の登山口に18:30頃に着きました。焼石岳本峰と東焼石岳との分岐点のある姥石平付近から東焼石岳の山頂部までお花畑が展開しており、残雪もあったりと、アルプスの少女ハイジの世界が広がっているようでした。出発した頃は晴れていて中沼から見た焼石岳は素晴らしい景観でしたが、姥石平に着く頃には、時折ガスのかかる生憎(あいにく)のお天気となってしまいました。それでも可憐な、紫、赤紫、ピンク、白、黄色などのさまざまなお花が咲き誇っている様は素晴らしいものでした。(これでも旬は過ぎているとのことのようでした。)
 神室山も登山口を12:00頃出発し、頂上に15:55頃に着き、16:10に下山を開始して、元の登山口に18:40頃に戻りました。(パノラマコース往復。暗くなってもわかりやすいと思われるため。)実は車で登山口に行くまでに、途中、国道13号線と国道108号線が合流している区間があるのですが、向かって先方の合流口で国道108号線へ入らなければいけないところを、向かって手前の合流口で国道108号線へ入ってしまいました。これで約20分間の時間のロスとなり、これが原因で最終の新幹線に乗り遅れた次第です。駅前のレンタカー屋さんに19:52に着いて、いろいろ手続きを済ませて駅に着いたら19:59で、19:57発の最終の新幹線に間に合いませんでした。神室山はお花の見頃はかなり過ぎている感じでしたが、今が旬のニッコウキスゲが咲き初めていたり、稜線や頂上からの眺望も靄(もや)がかかっている感じでしたが、アルペン的景観は素晴らしく思われました。焼石岳も確認できました。神室山は標高差は900メートルほどですが、途中、アップダウンが何回とあり、かなりハードに感じられる山です。今回、初めてバナナといっしょにすももを持って行きましたが、このおかげでしょうか、下山時、走るように下りましたが、足が攣(つ)ってしまうことなく下山できました。(焼石岳までの登山で鍛錬された結果もあったのだと思います。)
 どちらの山もクマが多いのでクマ鈴必携です。(神室山のヤマレコを見ると、コースは違いますが(水晶森経由)、クマゴローさんの糞を50個ほど見かけたという、とんでもない多さにうわっ!ビックリの情報もあります。)
 これで二百名山の東北シリーズの山は、新潟県と山形県の県境にある以東岳(いとうだけ、標高1771.4メートル)と新潟県と山形県の県境近くで新潟県内にある朳差岳(えぶりさしだけ、標高1636.4メートル)の2名山だけとなりました。どちらも残雪やお花畑が期待できそうな山ですが、ガイドブックによれば、どちらも山小屋1泊の健脚向きの山となっています。日帰りするとすれば、それぞれ11時間40分、14時間20分の(超)難関コースとなってしまいます。(登山路から)雪のなくなる8月以降に行ければと思っています。
 それでは引き続き天聖経より以下にみ言を紹介したいと思います。(天聖経第十篇 平和思想 第一章 平和とは何かより)

(み言 はじめ)
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  第一節 平和の概念

             ・
  平和と愛
             ・
 14 「平」という基準は、どこで求めることができるのでしょうか。愛を中心とした基準でのみ可能です。愛は、男性でも女性でも、私たちのあらゆる細胞が要求する、絶対的な理想の頂点です。その理想の頂点を中心として一つになる基準、全体を代表した基準として立つので、「平均」や平等という言葉は、力や形を中心としたものではありません。愛を中心として語る言葉なのです。

 15 私たちは、どこに向かっているのでしょうか。理想世界に向かっているのです。また、平和世界、統一世界に向かっています。理想や統一や平和というものは、一つになった世界なのです。その一つの世界の中心とは何でしょうか。このすべてのものは、愛が中心となっていなければならないのです。共産世界が平和の世界ですか。民主世界が平和の世界ですか。いくら組織が統一されたとしても、愛がなければ、それは統一世界になりません。愛がなければならないのです。

 16 千年、万年、不変な本質があるとすれば、その本質を中心として平和が成り立ってこそ永遠の平和が広がるのであり、幸福も、そのような本質を中心として広がってこそ永遠の幸福が成就するのです。そのようなことが真(まこと)の愛から始まります。真の愛を中心として始まる平和は、永遠の平和であり、そのような幸福は、永遠の幸福であり、それを中心として全体が統一されれば、それが永遠の統一になるという結論が出てきます。そうなれば、永遠の平和が永遠の社会、世界まで連結されるのです。
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(み言 おわり)

 それでは天の父母様、天地人真の父母様、みなさん、皆様方に感謝申し上げながら、これにて失礼致します。
 絶対「性」を守り、天の父母様(神様)を中心に良心に従って、為に生きる真の愛の心情で共に生きましょうね。
 テェピョンソンデ オンマンセ チョンジインチャンプモニム!(太平聖代億万歳 天地人真の父母様!)

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